講演会記録「パレスチナ人道危機の現状と現地の人々の声」

活動記録

2023年12月22日、茨城大学にて講師山村順子さんをお招きして行われた講演会。
「パレスチナ人道危機の現状と現地の人々の声」
日本のニュースでは伝えられない言葉の数々、現地の現状をお話してくださいました。

大学の講義の一環で聴講したこともあり、ブログには載せない方がよいかとも思ったのですが。
山村さんが講演最後に「多くの人に現状と支援の方法を知ってほしい。多くの人の考えるきっかけに」との言葉を受けて、感想と共に載せようと思います。

パレスチナ人道危機の現状と現地の人々の声

平和とは「戦争と戦争の間の一時的な安寧」でしょうか。
そうではない。そうであってはいけない、と世界中の多くの人が願っていることでしょう。

10月7日、イスラム組織ハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃から始まった、今回のイスラエルとハマスによる軍事衝突は、日に日に激しさを増しています。とりわけ、パレスチナ自治区のガザ地区では、イスラエル軍の攻撃により、1万人以上の民間人が犠牲となり、その多くは子どもや女性といわれています。一夜にして戦場と化した、パレスチナのガザ地区。私たちは、この現状をどのようにとらえればよいのでしょうか。

山村順子さん講演会「パレスチナ人道危機の現状と現地の人々の声」|EVENT|茨城大学 (ibaraki.ac.jp) より引用

山村順子さん講演会「パレスチナ人道危機の現状と現地の人々の声」|EVENT|茨城大学 (ibaraki.ac.jp)

詳しい講演会詳細は上記よりお確かめください。

パレスチナ問題―なぜ起こったのか。残り続ける世界大戦の傷跡

二世紀、ユダヤ人はローマ帝国によってパレスチナを追われ各国に離散しました。
キリストを死に追いやったとして、その後何年も長い間迫害されてしまいます。
第二次世界大戦、ナチスドイツは反ユダヤ主義を掲げ、ホロコースト(大虐殺)を実行。
これにより、多くのユダヤ人はアメリカにのがれました。

反ユダヤ主義とホロコースト

反ユダヤ主義とはユダヤ人に対する憎悪や偏見のことです。この偏見はヨーロッパ中に広まっていました。
ナチスドイツのユダヤ人迫害は1933年から始まりました。
差別的な法律の制定、排斥、組織的な暴力とますます過激になっていきます。
この過激化は、最終的に600万人のユダヤ人を大量虐殺するに至りました。
ナチスの指導者たちが「ユダヤ人問題の最終的解決」と呼ぶ計画。
この「最終的解決」とは、ヨーロッパのユダヤ人を組織的かつ体系的に、大量に虐殺することでした。
この国ぐるみの大量虐殺をホロコーストと言います。

シオニズムーパレスチナにユダヤ人国家の建設を!

19世紀末、シオニズム運動が起こりました。
シオニズム運動とは「長らく迫害されてきたユダヤ人国家をパレスチナに建国しよう」という運動です。
現在のパレスチナはかつてユダヤ人の祖先たちが住み、神が約束した安住の地―シオンの丘と呼びます。

第一次世界大戦中、イギリスは三枚舌外交を行いました。
アラブ人に対しオスマン帝国からの独立を支持。
フランスやロシアにオスマントルコ領の分割を約束。
そしてユダヤ人へパレスチナの土地にユダヤ人国家の建設を認める宣言をしました。
このイギリスの外交姿勢が、現在続く問題の対立を煽ることとなってしまったのです。

パレスチナ問題―現地では毎日が命の危機

現在、ガザではどのような状態なのでしょうか。
山村さんはスライドを回しながら、ガザの病院の状態を伝えてくださいました。
なかでも、私が印象に残ったものをピックアップしてお伝えします。

  • ガザ最大のシファ病院は何週間も電気がつかない状態。
  • イスラエル軍に銃を突きつけられて病院を去るように強制されてしまう。
  • 女性が身体的・精神的に辱めを受けている。
  • 救急車が壊され、薬や医療品の保管庫も壊され、病院は戦車に囲まれている。
  • 埋めることのできない死体が積み重なっている。
  • 新生児に対し、酸素吸入器が必要だが電力がなく動かない。

ガザの状況は「ジェノサイド」という悲惨な状況にあると山村さんは精一杯の言葉を尽くして、お話してくださいました。

ジェノサイドとは―大量虐殺・集団殺戮

その共同社会や民族を滅ぼすほどの大量殺害・集団殺戮を意味しています。
かつてナチスドイツが行ったホロコーストもジェノサイドに当たります。

どちらが悪いのか?―戦争に「どちらが」はない。

山村さんへの質疑応答にて、このような質問がされました。
「結局イスラエルとパレスチナ、悪いのはどちらなんですか?」
山本さんはこの質問に対し、真摯にご自身の考えを述べてくださいました。

「どちらが悪い、ではありません。全世界がこの戦争に加担しています」

現在のパレスチナの悲惨な状況は、ハマス政権の先制攻撃のせいでしょうか?
イスラエル軍の民間攻撃のせいでしょうか?
イスラエルがパレスチナを長い間支配していたからでしょうか?
それもあるけれど、と山村さんは続けます。
もともとはイギリスが三枚舌外交をしなければ、こんなことは起こりませんでした。
世界大戦が無ければ、植民地支配が無ければ、帝国主義思想が無ければ。
原因はどこにでもあって、その絡まり、積み重なった結果が今のイスラエルとパレスチナだと山村さんは語ります。

印象に残った山村さんのお言葉―本当に必要な支援とは?

「声なき声を拾える存在になりたい」

山村さんは女性ということもあり、パレスチナの現状を知るうえで、それが利点をもたらしてくれることがあると言います。
例えば、前項より「辱めを受けた女性」に対して精神ケア・治療が行えるのは彼女が被害者と同じ女性であるから。
同じ女性であることは心を開くきっかけにもなり得るのだそうです。

多くの人々の言葉は簡単に消えてしまいます。
昨日治療した方が、明日にはいなくなってしまうこともある。
そんな声を、消えさせない・忘れないために行動する山村さんが素敵だと思いました。

「砂漠に一滴の水を垂らすが如き支援」

現在、問題に対して多くの募金や支援が国連でも考慮されています。
しかしながらそれらは問題の解決には必ずしもつながりません。
病院前が戦車で封鎖されたことにより、国連の支援物資や資金援助も届かない状態。
そんな中、本当に募金をすることは、必要な支援と言えるのでしょうか。

「国際法は欧米諸国のための法」

山村さんが現地の声を取り上げた際に、仰っていたことです。
実際にこの問題で国際法は意味を成していない―そのように現地の人は捉えています。
厳しい言葉ですが、現状、欧米諸国は問題を完全に解決する一手がありません。

講演を終えて考えたこと

戦争にどちらが悪いということは無い。
これは本当に共感できると感じました……しかし、そのように思えるのは私たちが日本人だからなのかもしれません。
日本人は第二次世界大戦で負け、そして復興を果たした国です。
戦争における敗北とは「悪」であることの証明でもあります。
日本は敗戦により、ファシズムや天皇崇拝が「悪」であるという価値観を持ちました。
それは、視点を変えれば戦争の勝者(欧米諸国の思想)こそが「正義」という価値観を持ったことと同義です。

悪は滅びなければならない。けれども、日本は滅びてはいません。
わたしは正義と悪のぶつかり合いが戦争なのではなく、お互いの譲れない正義のぶつかり合いこそ戦争であると、今回の講演を経て考えました。
かつて日本帝国にも正義があり、それが欧米諸国の掲げる正義と相いれなかった。
敗北した日本帝国の思想は現在「悪」「間違っている」と解釈されます。
しかし歴史は変わります。価値観は変わるんです。
勿論、いつか日本帝国の思想の正しさが証明されれば、などということを言うつもりは毛頭ないです。
価値観が変わる可能性が存在するのが歴史というものなのだと思います。
そして、その価値観変動の可能性を日本人は知っていると思います。

今の時期はクリスマスムードがどこもかしこも漂っています。
パレスチナ問題は宗教が絡むこともあり、クリスマスの話題には触れない方が善いかと思いました。
けれども、キリスト教もイスラム教もユダヤ教も、誰だって平和を願っている。
日本人の多くが、クリスマスに恋人と過ごすように。新年を親しい人と迎えるように。
イスラエル・パレスチナにいる人たちも、記念日を大切な人と迎えたいと思っている。
記念日だけではありません。なんてことない平凡な日常だって、誰も失うことなく過ごしていたいと思っている。
今だからこそ、一度、大切な人たちと過ごす貴さを再び思い出す必要がある。

わたしは、キリスト教徒ではないですがジョン・レノンの歌う「Happy Xmas(War is over)」が大好きです。
毎年、この時期に聞くと泣いてしまいます。
簡単な英語で、中学の授業でも取り上げる先生がいます。
簡単な言葉ですが、それでも多くの願いを言語化した曲です。
「without any fear(怖いことはなにもありませんように)」は誰もが願っていることです。

講義を聞きながら『発射不能の銃』というモニュメントを思い出しました。
高校時代にアメリカ、国連へ行ったことがあり、直接拝見いたしました。
『発射不能の銃』というモニュメントはジョン・レノンの殺害を受け、作成されたもの。
銃身が曲げられ、結ばれており、発砲できないようになっている形状の銃のブロンズ像。

発射不能の銃 - Wikipedia

二度と暴力―理不尽な圧力や人間としての尊厳・生命・存在を脅かされる危険―を誰も受けないようにという怒りを私は感じました。
けれども現実はまだまだ非情なもので、暴力に苦しむ人々がいます。

現在、パレスチナ問題では多くの人が銃を手に取っています。ウクライナで起こる戦争でも。
自身を守るために、暴力装置を身に着けるしかないのです。
銃―暴力装置のない社会の実現のために、私たちは学ばなければいけない。行動しなければいけない。考えを共有しなければいけない。

どうかこの記事を読んだ方が、またパレスチナ問題に関心を持っていただけますように。
その思いを込めて、筆をおかせていただきます。

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