読書ノート12冊目「夫婦善哉」織田作之助

日々雑記

中学、高校時代に近代文学にハマり、太宰治や坂口安吾や夏目漱石などを読み漁っていました。
教科書でその名前を見かければ、必ず授業よりも先に開きました。
何冊かは購入して本棚に仕舞っています。最近知ったのですが、著作権が切れたものは青空文庫でも読めるそう。

織田作之助 夫婦善哉


学生時代から紙の書籍に慣れ親しんでしまっていますから、電子で読むのはまだ慣れません。
懐かしいなぁと何気なくページを開くと、学生時代に読んでいた印象とは違った印象を受けるものです。

今回は織田作之助より「夫婦善哉」の感想を。

むかしに読んだときは織田作之助の文章に面白さを見出すことができなかったのですが。
年を経て、面白いと感じるようになりました。
私も成長しているのでしょうか。

織田作之助

戦後に活躍した大阪出身の小説家であり、太宰治や坂口安吾などとともに「無頼派」「新戯作派」として活動していました。
今回ご紹介する「夫婦善哉」にて小説家としての地位を確立し、「天衣無縫」「俗臭」などの作品を生み出しています。
戦時中には「青春の逆説」が発禁処分を受けました。

人の一生に注目した織田作之助の文章は、どことなく力強さがあります。
大阪という商人の活気づく街で、人を見ていた、彼の生涯故なのでしょうか。

無頼派

戦後の近代既成文学全般への批判に基づき、同傾向の作風を示した一群の日本の作家たちを総称する呼び方です。
象徴的な同人誌はなく、範囲が明確かつ具体的な集団ではありません。
呼び名は坂口安吾の「戯作者文学論」からきています。
同書にて坂口安吾は漢文学や和歌などの正統とされる文学に反し、俗世間に存在する、洒落や滑稽と趣向を基調とした江戸期の戯作の精神を復活させようという論旨を展開しました。

夫婦善哉


織田作之助 夫婦善哉

先述の通り、青空文庫にて掲載されています。
紙の書籍がお好きな方は、書店や中古品などもお探しください

あらすじ

貧しい実家で生まれた蝶子は芸者になった。
持ち前の明るさと声の張りで、熱心に仕事をする蝶子は次第に、なじみの客である柳吉に惚れ込み、駆け落ちをする。
柳吉は金遣いが荒く、また計画性の無いだらしのない男であった。
柳吉の前妻も亡くなり、なんとか関係を認めぬ柳吉の父を納得させようと、柳吉を自立させるべく働く蝶子であったが、蝶子と柳吉の関係を認めぬまま眠ってしまった。

度重なる金の切れ目を人との縁と自身のバイタリティとで繋ぐ、人情豊かな蝶子の一生を描いた物語。

感想(ネタバレ有)

幾度となく商いに取り組み、失敗をし、金がなくとも明日を懸命に生きていく力はどこから生まれるのでしょうか。

蝶子の持ち前の明るさ故か、人の縁のタイミングの良さか。
蝶子は自身の貧しい家を「哀れ」と思っていたけれども、その貧しい家庭こそが蝶子にとっての家族のあり方の根幹であり、頑張る源なのでしょう。

貧しいと言えども家族を思いやる優しさは誰よりも強い蝶子の父。
生前、悪態をつき喧嘩をしたけれども、晩年には全てを受け入れ、事情を察し金を工面してくれた母。
明日生きる金銭がなくとも、人情というものは手放すべきではないことが伝わります。

金は働けば手に入るが、人の縁というものは得ようと思って得られるものではありません。

蝶子の人当たりの良さは、巡り巡って困難に立ち向かう蝶子を支えてくれるのでした。
大阪は商人の町。活気づく街並みは現代もなお、観光地の一つとして数えられています。
そんな街並みを見てきた織田作の、なにか真理めいたものが、夫婦善哉から感じられる気がしています。

夫婦善哉とは

夫婦やカップルで食べると円満になれるという縁起物。
「夫婦善哉(めおとぜんざい)」は、大阪で140年以上愛されている善哉です。
始まりは明治16(1883)年に法善寺境内に開店した善哉屋「お福」
一人前なのに二杯のお椀に分けてつがれた善哉が提供されていたということから。

詳細は以下の記事より
コネクト大阪/大阪のうまいもんお取り寄せ/夫婦円満・恋愛成就の法善寺横丁「夫婦善哉」


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