天使にラブソングを ー長く愛される秘密ー

日々雑記

先日、ようやくアマゾンプライムに加入し、ずっと見たかった「天使にラブソングを」を鑑賞することが出来ました。

まさかコメディ映画とは知らず、1時間40分間笑い続け、驚きに満ちた映画でした!

「天使にラブソングを」の感想

まさかコメディだなんて! というのが私の一番の感想です。

綺麗な女優さんが破顔して観客を笑わせたり、「くるぞくるぞ……」と観客の目線を最大限惹きつけたうえで落としどころを設けて笑わせてきます。時にはシスターにありえないような下ネタが飛び出したり、とんでもストーリーや個性の強すぎるキャラクターなど何年たっても廃れることの無い魅力が沢山ありました!

計算されたストーリ設定、観客への配慮も丁寧で、これこそ大人から子どもまで楽しめるブラックコメディ作品でしょう。

「天使にラブソングを」の魅力

コメディ×宗教 ―危ない駆け引き―

ポスター画像から見ていただければわかるように、「天使にラブソングを」はキリスト教が大きな題材です。

宗教を題材にした映画は、必ず宗教自体の歴史を扱うか、仮想の宗教を創作し登場させるかが定石です。

なぜなら宗教は「誰かの信仰」に当たるからです。信仰の自由が広く認められているこの時代には、プロパガンダ映画でもない限り、現存の信仰を貶す行為はタブーとされがちです。

加えてコメディは「笑いを誘う」行為です。お笑い芸人の方の芸を見ていますと「笑わせる」ことと「笑われる」ことが紙一重であると思ってしまいます。

つまりは観客の笑いどころをコントロールしなければ、ただのタブー作品になってしまう、危ない映画だったのです。

またお客さんに「笑ってほしいところで笑わせる」というのは、高等な技術です。

お笑い芸人は下積みが長い、なんて話をよく聞きませんか?

下積みが長いのは経験が重視されるからです。それはお客さんの反応を研究し、試行錯誤で芸を磨き、観客の感情をコントロールするというもの。

一種のマインドコントロールです。それを会場全体の、数百人というお客さん相手にしなければいけない。それが「お笑い」です。

さて、コメディ「映画」となるとさらにハードルは上がります。

お笑いはお客さんの反応を見ながら、時には臨機応変に手を変え、品を変え、とすることが出来ます。

しかし映画は公開されるまでお客さんの反応を見ることが出来ません。

公開後にオオコケ! なんてことも起こりかねないんです。

その様な視点から見ると、とても危ない橋を渡った映画ということがおわかりいただけるのではないでしょうか。

時代に迎合しやすい主人公

主人公の設定は宗教映画には珍しい「宗教なんかクソ食らえ!」といった反抗的なヤンキーレディ。

当時でいう、退廃的で無法地帯にあるクラブで歌を歌う女性です。

宗教が重んじられていた時代ならば、彼女に不幸が起こるたびに「笑いが起こる」設定になっています。

つまりは「ざまあみろ! 神を信じてないからそうなるんだ!」という感じ。嘲笑に近いかもしれません。

ラストシーンのラブソングも「主人公がようやく神を信じた! だから救われた!」という見方ができるのです。

一方で現代では無宗教の人がずっと増え、他宗教とのつながりが深くなっています。

主人公は現代では「そういう人もいるよね~」と理解を示される立場に。

そんな人から見れば宗教を重んじている人々との異文化理解の過程は興味深いものでもあります。

主人公が一つ一つ問題に折り合いをつけ「受け入れないけど納得していく」という人間性の成長が面白いのです。

ラストシーンのラブソングでは、主人公が神を重んじていなくても、教会のため、友人のために立ち上がる素敵な女性に見えたことでしょう。

キリスト教を信じていても、信じていなくても、共感しやすく面白い話になっているのです。

計算された笑い

なんといってもこの映画の最大の魅力は「計算された笑い」です。

タイミングもギャグの内容も、配置された女優さんたちの顔の表情でさえ、自然と目が運ばれるような演出です。

例えば、映画の中盤にて主人公が教会の厳しい教えに耐え切れず夜にひっそりと抜け出すシーンがあります。

教会の長い廊下をこっそりと、しかし急ぎ足で立ち去る主人公。

その後を追うようにシスター・メアリー・パトリックが画面に移ります。

その表情はまるでいたずらっ子のようにわくわくとしていて、目は開きキラキラとしています。

どうか実際に見ていただきたいのですが、そのシーンには形容しがたい面白さがあるのです。

あえて言葉にするならば、シスターならざる動きと表情をしています。

画面移りも、主人公、メアリー、主人公、メアリーと目線が自然と映っていきます。

観客にストレスを与えず、かつどこかユーモアのあるギャグ要素を添えているのです。

観客はこのシーンで画面のどこを見ているのか、何を見ているのか、把握していなければできない演出です。

そして絶対に神や教会といった信仰の対象を笑いものにしません。

そういったものが笑いの対象になりそうなシーンでは、別の部分へと目が行くように画面上にキャラが配置されていきます。

また誰もが「わかる」ギャグを入れているというのも魅力の一つ。

例えば主人公がキリスト教の経典を暗唱するシーンがあります。

キリスト教の経典など、日本人にはなじみがないことでしょう。

けれど、主人公が経典を暗唱している、と私たちは理解ができる。

だからこそ次のシーンで笑いを取れてしまうわけです。

私評

沢山のことを書かせていただきましたが、本当にいろいろな意味で「おもしろい」映画です。

お笑いとして見るもよし、ひとりの人間の成長譚として見るもよし、演出のすばらしさを見るもよし……

お酒を呑んで、うまく頭が働かなくても、しっかりと記憶に残る映画でしょう。

アイキャッチ画像:UnsplashAnuja Tiljが撮影した写真

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