読書ノート17冊目「友情」武者小路実篤

日々雑記

お久しぶりの投稿です。まさか五月の末頃にパソコンが壊れるなんて……。
現代社会でネットにつなぐ機械が使えなくなるというのは本当に恐ろしいことです。

スマホがあれば基本的な生活はできるものです。ところが私の癖というか、ルーティンというか、ブログや小説の執筆はキーボード入力じゃないと気持ちが乗りません。
甘ったれたこと言ってんなよ!!! って感じですけどね……。

さて今回は、パソコンが使えなかった間に読み直した、本の感想を書いていきます。
読んだ本は武者小路実篤の「友情」
近代文学続きなのは、中古本が安いからです。
苦学生なので、百円じゃないと本を購入できないんです。

武者小路実篤

代表作は「お目出たき人」「人間万歳」など。
今回読んだ「友情」は武者小路作品の中でもとりわけ若い人に親しまれてきた作品とされています。

武者小路実篤は若い頃からトルストイに傾倒していました。
彼の考えに賛同し、実現しようとした「新しき村」の建設。
文芸誌「白樺」の創刊など、経歴を見るとかなり活動的な人物だったようです。

読んだ感想として、他の近代作家に比べると直接的な表現が多く使われています。
比喩や暗示表現は多くない。淡白で読みやすい文章です。
しかし、登場人物の揺れ動く感情や相反する衝動の両立を巧みに描いています。
Wiki では「天衣無縫の文体」と表現されていて、まさにその通りだと感じました。

「友情」

「友情」は大正八年(1919年)に大阪毎日新聞にて連載されたものです。
この年は武者小路が「新しき村」の建設に取り掛かった年でもあります。

あらすじ

新進脚本家の野島は、作家の大宮と尊敬しあい、仕事に磨きをかけている。大宮の方が先に評価を得ていたが、大宮はいつも野島を尊敬し、勇気づけてくれる。

ある日、野島は友人の仲田の妹・杉子に恋をする。かたい友情で結ばれた大宮に包み隠さず打ち明けると、やはり大宮は親身になってくれた。野島が杉子会いたさに仲田の家へ大宮と連れだって行くと、杉子はいつでも自分たちに無邪気な笑顔を向けてくる。野島は、杉子に大切にされている感覚を覚えた。しかし、大宮は杉子にはいつも冷淡だった。

突然、大宮が「ヨーロッパに旅立つ」と野島に告げる。野島は友人と別れる寂しさと杉子を一人占めできる安心感とに悩む。それ以来、杉子とはあまり遊ばなくなる――。

友情(小説)- Wikipedia

数多い武者小路作品のなかでもとりわけこの作品が若い人々に広く親しまれてきたのは、青春時代のあらゆる魂の問題が恋愛と友情という切り離すことの出来ぬテーマを巡って扱われているからだ。
ここに充ちあふれている自己肯定の明るさとおおらかさは、いつの時代の若者たちにとっても温かく力強いはげましでありつづけるだろう。

岩波文庫「友情」武者小路実篤作 解説=河盛好蔵より

好きだった言葉

どこの国にだってほんとうの善人は多くない、はなはだ少ない。美しい人も多くはない、はなはだ少ない。しかしいないことはない。ただそういう人にめったに会うことができないだけだ。

岩波文庫「友情」武者小路実篤作 p20

ともかく恋はばかにしないがいい。人間に恋という特別のものが与えられている以上、それをばかにする権利はわれわれにはない。それはどうしてもだめな時はしかたがない。しかしだめになる所までは進むべきだ。恋があって相手の運命が気になり、相手の運命を自分の運命とむすびつけたくなるのだ。それでこそ家庭というものが自然になるのだ。恋をばかにするから、結婚が賤しくなり、男女の関係が歪になるのだ。ほんとうの恋というものを知らない人が多いので、純金を知らないものが、鍍金をつかまえるのだ。

同書 p28 より

お前は人間ではない。自分のために生きる人間ではない、ただ他人のためにのみ。お前には自分自身の内、芸術よりほかに幸福はない。神よ、私に克つ力を私に与えてください。私を人生に結びつけるものはなんにもありません。Aとこうなってはすべてが失われました。

同書 p97 より

感想

本気で恋をした人間なら共感できる文章や場面も多いのではないでしょうか。
大宮と野島と杉子の三角関係。ですがそれが三角関係とわかるのは下篇に入ってからのことです。
武者小路自身が書いたあとがきでは登場する人物、出来事は想像だと書かれています。
まるでリアルすぎる恋愛模様。想像でここまで書いてるのやべぇ(語彙力)となりました。

先述の通り武者小路実篤自身の文体がすっきりしていることもあり、失恋小説のラストとしては男らしい、簡潔で前向きな終わりとなっています。

現代の恋愛物語だと、ドロドロした三角関係や本当に性格悪い人間が出てきますよね……。
勿論、それを乗り越えて育まれる愛情、恋情はより強固でドラマチックです。
一方で現実離れし過ぎていて、エンタメとしては面白いのですが、あまり私の性に合いません。

「友情」をリアルすぎると思ったのは、両極端な感情の両立を技巧無く、率直に描いていたからでしょうか。
嫉妬しながらも、嫉妬良くないと思う善心。
人間の中に渦まく葛藤を分析・分解してうまく言語化されているんです。
自分の恋愛を思い浮かべながら「そうそう、恋愛してるとこう思うんだよね」と納得できる表現ばかり。


一番好きだったのは「失恋≠物語の終わり」だったこと。
多くの物語では失恋後、主人公が命を落としてしまったり、別の人生を歩むために強制的に物語を終わりにしてしまいます。
あるいはそんな終わりを避けるために、他の登場人物が恋情よりも友情を取るなど。
「友情」では、大宮が友情をとることもなく、野島が失恋で心を病んで死ぬこともありません。
これは武者小路先生が、人間の心の強さを信じていて託そうとしているように私は思えました。

君よ。君の小説は君の予期どおり僕に最後の打撃を与えた。ことに杉子さんの最後の手紙は立派に自分の額に傷を与えてくれた。これは僕にとってよかった。僕はもう処女ではない。獅々田。傷ついた、孤独な獅子だ。そして吠える。君よ。仕事の上で決闘しよう。君の残酷な荒療治は僕の決心をかためてくれた。(……中略……)いつか山の上で君たちと握手する時があるかもしれない。しかしそれまでは君よ、二人は別々の道を歩こう。

同書 p124 より

唐突に引用を挟みますが、この「山の上で握手」っていう表現が好きなんです。
ラストのこの文言は友情より恋情を取った大宮への決別です。
同時に、恋という障壁が友情を見えなくさせることは無い、という深みのある文章になってると、私は思うのです。
一時決別するだけで、いつか同じ場所に立つという覚悟が野島にはある。
諦めない野島の姿が、物語の終わりであっても人生の終わりではないことを語っています。

失恋したって、失敗したって、人生は続いていくものです。
「友情」は物語の終わりの先、野島の今後の人生に思いを馳せることができる。
作品全体を通して、人間の強さを信じている、前向きで励ましを貰える作品だとも思いました。

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