最近、私の生活の中で太宰ブームが来てます。いろんな作品を読んだり、当時友人知人だった人たちが太宰について記したものを読んだり……そのために志賀直哉全集も購入してしまいました。
ブームのきっかけは少し前に書いた読書ノートの15冊目についての記事なのです。
あの後、すぐに大学の課題にてこちらの書籍の感想文を書きました。
2000文字でよかったところ、勢い余って7000文字書いてしまい……熱量が認められたのか単位ももらえました!笑
読んでいくうちに、太宰治がどんな人間だったのか、もっと知りたいと思うようになりました。
そこで彼の盟友であったと言われる檀一雄の書籍に手を伸ばすこととなります。
今日は「小説 太宰治」についての感想と偏見交じりの考察です!
檀一雄 最後の無頼派
無頼派とは第2次世界大戦終結直後の混乱期に,反俗・反権威・反道徳的言動で時代を象徴し、活躍した文士のことを指します。
新戯作派という言葉もありますが、無頼派とほぼ同義と捉えてよいようです。
主に織田作之助、太宰治、坂口安吾などが今なお有名な作家でしょうか。
檀一雄は無頼派文士とともに活動し、そしてその中で長命であったことから「最後の無頼派」と呼ばれました。
律子夫人の没後に描かれた「リツ子 その愛」「リツ子 その死」、直木賞を受賞した「真説石川五右衛門」、そして「火宅の人」など多くの作品を残しています。
また料理の腕がすぐれていたこともあり、「檀流クッキング」という書籍も出ています。こちらは世界中を放浪した彼の深い見識が盛り込まれた内容で、また季節の変わりを楽しむ豊かな文章と共に食欲をそそられる内容となっていました。
今回ご紹介する「小説 太宰治」もそうですが、あまり書店では檀一雄の作品が並んでいません(私の住んでいる地域の書店がそうなのかもしれませんが……)
檀一雄の書籍を探す場合はネットの方が見つかるかと思います。
無頼派
戦後の近代既成文学全般への批判に基づき、同傾向の作風を示した一群の日本の作家たちを総称する呼び方です。
象徴的な同人誌はなく、範囲が明確かつ具体的な集団ではありません。
呼び名は坂口安吾の「戯作者文学論」からきています。
同書にて坂口安吾は漢文学や和歌などの正統とされる文学に反し、俗世間に存在する、洒落や滑稽と趣向を基調とした江戸期の戯作の精神を復活させようという論旨を展開しました。
「小説 太宰治」
あらすじ
”天才”太宰治と駆け抜けた著者の狂躁的「青春回想録」
小学館 P+D BOOKS 発行 「小説 太宰治」 檀一雄著 あらすじより引用
作家・檀一雄は太宰治の自死を分析して、〈彼の文芸の抽象的な完遂の為であると思った。文芸の僧都の成就である〉と冒頭から述懐している。〈太宰の完遂しなければならない文芸が、太宰の身を喰うたのである〉とまで踏み込んでいる。
昭和八年(1933年)に太宰治と出会ったときに「天才」と直感し、それを宣言までしてしまった作家・檀一雄。天才・太宰治を描きながら、同時に自らをも徹底的に描いた狂躁的青春の回想録になっている。作家同士ならではの視点で、太宰治という天才作家の本質を赤裸々に描いた珠玉の一遍である。
感想 *ネタバレ有
檀一雄の文章は熟語が多く、初めて読む方には固い印象を与えるかもしれません。
けれども素晴らしいと感じたのは、読後感が爽快で明瞭としていて、波が引いていくような清々しさがあることです。
漢字の多い文章にありがちな重苦しさや難読さがありません。
また本の全てから太宰への深い友愛が感じられますが、あらすじにあるように狂躁的。
太宰治、という人間にスポットライトが当たるため、檀の狂おしい様子は陰に潜んでいますが、ひとたび冷静になると、彼も狂った人間の一人であるように気付きます。
「小説 太宰治」は太宰の特異なエピソードを語るネット記事や回想にてよく取り上げられる一冊です。
なので今更この記事にて一つ一つを深く触れることはしません。しかしこの書籍に掲載された檀一雄と太宰のエピソードで特徴的なものは列挙しておきます。
- 太宰治と檀一雄の出会い、出会ってすぐの「天才」宣言
- 太宰治と中原中也の関係性について(丸太事件)
- 第一回芥川賞と川端康成への手紙
- 「晩年」出版
- 熱海セリヌンティウス事件
- 星降らし
- 太宰と檀の心中未遂
- 戦中太宰の様子
- 太宰の失踪と心中
なかなかに特徴的な出来事が多い二人です。
これは大きな出来事を列挙しただけであり、日常的な会話や変化についても情思溢れた文章で思い起こされています。
檀一雄自身は太宰から相当な目に合っていると考えられます。
太宰の借金返済のために自身のものを質に入れたり、情緒不安定な太宰に付き合っていたり、出奔すれば探しに行き、熱海では宿代のために置いて行かれます。
女遊びや酒には一緒に溺れ、生活費の不足のために限界ぎりぎりまで病気も治療できません。
酔った勢いで心中未遂もします。太宰が侮辱されれば、相手を丸太で殴ろうとする始末。
そんな状態でも、太宰は天才だ、すごい奴だと、まるで盲目。妄執的な友愛です。
素直に光をあてられた「太宰治」を見れば、読者の感想は「あぁやっぱり太宰は狂った奴だ」と思わせられる文章です。
しかし先述の通り、その盟友に焦点をあげれば檀一雄の友愛の深さ(いえ、重さと言うべきでしょうか)に気付くことができます。
愛の重さも、彼の文体では清々しく描かれ。妄執からくる行動も、まるで友人なら当然のことであるように感じてしまうことでしょう。
さて、そんな檀一雄ですが、太宰の心中達成後の所感もまた他の人間と異なっているようです。
対比として特徴的なものに坂口安吾の「不良少年とキリスト」を取り上げます。
私は坂口安吾の作品から、言葉にできない「死なないでほしかった」という気持ちを感じました。
坂口は、作家として閃光のように駆け抜けた太宰の生涯を称賛しながらも、「狂言自殺ができるような人間ならば」と悔しんでいます。
また「如是我聞」にて大批判を受けた志賀直哉は、「太宰治の死」にて、太宰の、自身に対する反感に気付き、自然と悪意を持った言葉を使用したことを認めました。
そうして文章の最後において「私は恐らく病気の徹底的な療養を二人に進めたろうと思う」と綴っています。
文中では女性を伴って死んでしまった、という事実に志賀直哉らしい所感を述べています。
余談ですが、もし太宰の三度目の自殺が未遂に終わっていて、失踪した状態でこの文章を読んだなら、太宰治は怒り狂いそうだなぁと私は思ってしまいました。
さて話を元に戻しましょう。檀一雄は太宰の失踪時、その話を聞いてすぐに「何故かもう駄目だ」と思っています。
そうして「死んだ太宰には会いたくない」と述べています。
太宰と最も近しい間柄であったが故に、彼の死の意味でさえも否定しかねている様子を感じました。
檀一雄の気持ちは「死んでほしくなかった」ではなく「もう一度会いたかった」なのです。
これは太宰の自殺までを含めて太宰の生涯全てを肯定している。そうしてタイムリミットまでにもう一度会いたかったという後悔がにじみ出ています。
この部分を読んだとき、私は太宰治の「人間失格」の一文を思い出しました。
ただ一切は過ぎていきます。
檀一雄のこの時を顕す文章にはこの一文を思い起こすよう。
そこには失望感や冷静な気概はありません。
太宰の死に対し、足元のおぼつかない現実離れした気持ちと行く末を見届けたような父性・友愛。
上手く表現ができないのですが、確かに温かく気持ちの良い感情が心に浸み込んでくるようでした。
太宰治に対して、私達未来の愛読者は「哀れみ」「共感」「同情」に近い感情を覚えます。
けれども太宰の最も近くにいた檀一雄は、彼に対してそのような遠い感情を抱くことは無く、ただ同じ人間、同じ文学者としての彼の労苦を尊敬しています。
これこそが彼が「盟友」と言われた理由なのだと実感しました。
「小説 太宰治」から見た太宰治の偶像
ここからは私の偏見交じりの考察です。
現代の多くのメディアミックスでは「太宰治」と言う人間性は魅力的で面白いキャラクターとして描かれることが多いと思います。
自殺志願者であったり、情緒不安定な希死念慮を前面に押し出していたり。
現在では病名のつく、境界性パーソナリティ障害であったのではないかと考察する意見もあるようですね。
けれどもそれらは私たちが「太宰治」という人間がこうであってほしいという希望を交えた偶像であったと、本書籍を読んでいて感じました。
テレビやスマホを通してみた太宰治という人間は、最高のコメディアンでしょう。
人間は自分に関わらないところで起きた悲劇・喜劇を楽しむ能力があります。
太宰に振り回された人間や環境は、私達にとって十分な楽しみになり得る。
けれども決して、最高のコメディアンになり得なかったのが本当の太宰の姿だったように思います。
「巧言令色」というのが太宰の本質だったようです。
だから書いた書籍は、現代の私たちが望むコメディアンとしての彼が映し出されている。
私達は彼の書いた書籍から、太宰治と言う人間を判断します。
だから彼の偶像は完ぺきなものとして出来上がってしまう。
本当の太宰治はそういった姿を見せる相手を限定していたんじゃないか、と私は感じます。
境界性パーソナリティ障害という説が出ていました。
例えばそれを肯定するとして、太宰治と言う人間は境界性パーソナリティ障害に加えて「味方もいつか敵になる」という人間不信におびえていたように思われました。
極度の人間不信は「人間失格」で表面に現れ、破綻したように描かれましたが、生涯まで隠し通そうとした姿こそ太宰の姿だったんじゃないかと。
こう思うのも、私が太宰に抱く偶像なのかもしれません。
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