最近、太宰治関連書籍が毎日家に増えていく日々です。今日は先週買った乙女の本棚シリーズより、魚服記を紹介します。
え、太宰治全集持ってるんじゃないかって?? 持ってますよ。
でも好きな作家の本なんて何冊あっても良いですから。
乙女の本棚
この乙女の本棚シリーズは、近代文豪と現代イラストレーターの合作絵本。
小説としても、画集としても楽しめる一冊として生み出されています。
今回ご紹介する魚服記は太宰治とねこ助さんによる一冊。
ねこ助さん、この本を読むまで私は存じ上げなかったのですが、かなり厚塗りでファンタジアなイラストを描かれています。
全集で読んだ「魚服記」で、わたしは登場する女の子スワをかなり田舎の汚い小娘を考えていました。登場するオドも小太りの漁夫を想像していました。ねこ助さんのオドはスラッとしていて、壮年のくたびれた感じが浮かび上がります。
ねこ助さんの描くスワは田舎娘感はあるものの、村一番の美人と噂されそうな美しさです。しかも魚服記の世界観に合っていて、一歩間違えればどこかに消えてしまいそうな儚さも。
他の人が太宰先生の作品読んで感じた登場人物の容姿などを共有できるとかなり面白いですね。
乙女の本棚シリーズは、中高生に人気なイメージがあります。私も妹に教えてもらって、このシリーズの存在を知りました。一冊の値段が高いこの本ですが、学校の図書館に入っているんだとか。
近代文学、文豪、と聞くと堅苦しい印象がありますが、こうして絵本の形ならば馴染みやすいのかなと思います。
ちなみに妹は坂口安吾の「桜の森の満開の下」が好きだったそう。
太宰治
自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、戦後を生き「走れメロス」「津軽」「人間失格」などの作品を次々に発表した無頼派作家。
没落した華族の生涯を描いた「斜陽」はベストセラーになった。
恋や人生に悩みながら生きた作家ですが、彼を知る坂口安吾、檀一雄の言葉を見ると、不器用な人間であったのだと思わされます。
個人的には檀一雄の「小説太宰治」や坂口安吾の「不良少年とキリスト」は読んでほしいなぁと思います。
社会が、歴史が動き、多くの人が文字を読める時代になりました。彼の作品を読めることを、私は幸せだと思っています。
無頼派
戦後の近代既成文学全般への批判に基づき、同傾向の作風を示した一群の日本の作家たちを総称する呼び方です。
象徴的な同人誌はなく、範囲が明確かつ具体的な集団ではありません。
呼び名は坂口安吾の「戯作者文学論」からきています。
同書にて坂口安吾は漢文学や和歌などの正統とされる文学に反し、俗世間に存在する、洒落や滑稽と趣向を基調とした江戸期の戯作の精神を復活させようという論旨を展開しました。
魚服記 ― あらすじ
どこまでも直接的な描写なく、浮遊感のままに描かれる片田舎の噂話のような御伽噺。
滝の傍にて父(オド)と暮らすスワは茶店の番をしながら、父の帰りを待っている。
近くの滝では学生が滑り落ち、その様子をスワは目撃していた。
スワはこの滝の逸話―三郎と大蛇になった八郎の話―を父に聞いたことがあった。
魚服記と太宰治
こちらの「魚服記」は太宰治が24歳にして描いた執筆作品。その技巧や才能のすばらしさについては私の記事を読むよりも↓の記事を読んだ方がわかりやすいかもしれません。
この作品の15年後に太宰治は玉川上水にて入水自殺をしました。
太宰が小説家を志して描いた「魚服記」。今。太宰治の生前を知る人はほとんどいなくなった、今。本当に短い生涯、短い作家生涯の中、この作品からは夢に溺れる覚悟を感じてなりません。
感想「夢に溺れる覚悟」
生きている人間には死んだ人間の感情は語れません。けれども、生きていたころの感情に共感しようとすることは出来るはずです。
先日の「かくかくしかじか」にても描きましたが、作家やイラストレーターなど、なにかしらの創作者を目指すというのは並々ならぬ覚悟が必要です。
その覚悟とはある一点において生まれるものではなく、段々と自分自身の中に芽吹いていくものなのだと思います。
その覚悟とは「何かを残す」という覚悟ではなく、「何かを残せるかもしれない」と信じ続けることだと思います。
根拠のない自信を抱き続ける意味で、創作者は狂信者でなければなりません。
この作品の15年後に川に飛び込んだ太宰治が、小説家を志したこの時期に川に飛び込むという作品を描いたことに私は何かしらの因果を感じるような気がしています。
坂口安吾の「不良少年とキリスト」の一節を引用しましょう。
太宰は、時々、ホンモノのM・Cになり、光りかゞやくような作品をかいている。
青空文庫 / 坂口安吾 不良少年とキリスト
「魚服記」、「斜陽」、その他、昔のものにも、いくつとなくあるが、近年のものでも、「男女同権」とか、「親友交驩」のような軽いものでも、立派なものだ。堂々、見あげたM・Cであり、歴史の中のM・Cぶりである。
けれども、それが持続ができず、どうしてもフツカヨイのM・Cになってしまう。そこから持ち直して、ホンモノのM・Cに、もどる。又、フツカヨイのM・Cにもどる。それを繰りかえしていたようだ。
太宰作品にとって、そして太宰治の作家生涯にとって「死と再生」は切っても切り離せぬものだったのではないかと私は思います。
例えば失恋した女性が長い髪を切る、香水を変えたり、それまでとは違うジャンルの服を着るように、再生してまた新たな恋愛を歩む――太宰先生自身が新しい生涯を歩もうとする――そのための儀式として「死」が必要だった。
太宰先生が作家を目指したこと、それはこれまでの学生生活や平凡な人間としての生涯に区切りをつけることでもありました。その為に「魚服記」でスワを殺した。川に、滝に、身を投げさせたのかと思います。
ちくま文庫出版の太宰治全集1「解題」から引用します。
ここで鳥渡私の「魚服記」に就いて言わせていたゞきます。あれは、やはり、仕事に取りかゝるまえから、結びの一句を考えてやったものでした。「三日のうちにスワの無慙な死体が村の橋杙に漂着した」という一句でした。それを後になってけずりました。
ちくま文庫出版「太宰治全集1」「解題」494頁より引用 「木山捷平宛書簡(昭和八年三月一日)」
太宰先生の構想の中では、スワは死ぬことになっていた。この一句を削ったことを太宰先生は悔いていたようですが、私個人としては削ってよかったんじゃないかと思っています。
先述のとおり、生きている人間に死んだ人間のことは語れません。「三日のうちにスワの無慙な死体が村の橋杙に漂着した」という一句は、文字通りスワが死んだことを明言してしまっており、読者はこれ以上スワのその後に関して語ることができなくなってしまう。
この一句を抜き取ることで、スワは魚になって生きているのかもしれないし、死んでいるのかもしれない。読者に語らせる余地が生まれる。
再び「不良少年とキリスト」に戻りましょう。キリスト教があれほど有名になり、世界中で信じられるようになった一番の要因はキリストが復活したからです。
科学の進んだ現代でも、キリスト教を信じる人間がいること、それはキリストの生死があやふやになったからです。処刑され、それ以上語られることの無かったキリストが、復活という物語を作った。
津島修二という人間が死に、太宰治としての人生が復活した――そう解釈すれば、太宰治の文学にキリスト的な精神性を見出してしまう。
太宰治は何度も心中を繰り返します。文壇にかみついても筆を持ち続けた。戦争でさえ彼の筆を折ることは無かった。なんど挫け、人間としての弱さを曝け出し、世間に嗤われようとも筆をとった。
坂口安吾はその立ち上がり――復活を祝称して不良少年(太宰治)とキリストを並べた。そしてその死を惜しみ、憎み、言い返せない相手を呪う一杯の言葉として「不良少年とキリスト」を書いた。
実のところ、私は、太宰先生でさえその復活に期待していたところがあるんじゃないかと思っています。「不良少年とキリスト」にて坂口安吾は「狂言自殺さえできれば」なんて書いていますが、きっと太宰先生もそのように自分を客観視していたんじゃないかと思っています。人間失格であれだけ自分を客観的に、コメディに描ける作家ですから。どこまで堕ちても、また這い上がって小説を書けると、信じていたんじゃないかなぁ。
何が言いたいかと言いますと、太宰先生自身で「三日のうちにスワの無慙な死体が村の橋杙に漂着した」という一句を抜き取ったのは、太宰先生自身が自分の作家としての成功を信じていたからではないかということです。津島修二の死と太宰治としての復活を、太宰先生自身で語るために、死という直接的な描写を避けたのだと思います。
すんごく感想長くなった。すみません。長く書くつもりはなかったんです。
なんならまだ語りたいこといっぱいありますけれど、それはまた別作品でおいおい。
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