スティーヴンソン「ジーキル博士とハイド氏」感想

読書ノート

ついに12月になりましたね。
断捨離はまだまだ終わりそうにないです。
今日も飽きずに積読消費を!

今日はスティーブンソン作「ジーキル博士とハイド氏」を読みましたので、その感想を書きます。

スティーブンソン

1850年から94年までを生きたイギリスの詩人であり小説家です。
最も有名なものが今回ご紹介する「ジーキル博士とハイド氏」でしょう。

他にも「宝島」「誘拐されて」などの作品もあります。

訳者にもよりますが、基本的に読みやすい文章体で表される物語が多い印象です。

「ジーキル博士とハイド氏」

昨今では多くのメディアミックスで登場し、名前だけは知っている人も多い作品です。
台詞が多く、短文、そして必要な情報のみを詳細に描く文章は、現代でも読みやすい作品と言えるでしょう。
この機会にぜひお手に取ってみてください。

あらすじ

すぐれた学者、名望ある紳士、富と名誉と徳行とで社会から重んぜられる主人公ジーキル博士の家にいつのころからか醜悪な小男、ハイド氏が出入りするようになった。

暴行事件や良くない噂の絶えないハイド氏は、ついに殺人事件を犯し、指名手配犯となる。
ところが彼はそれ以来姿をすっかり顕すことは無くなってしまった。

共に世俗を恐れるようになったジーキル博士。
彼の罪は、残した陳述書は、友人を巻き込んで、急速に収束していく。

多重人格の代名詞ともいえる怪奇小説。

個人的に好きな台詞(ネタバレ有)

「思えば、楽しい人生だった。おれは生きているのが好きだった。ねえ、きみ、いつも人生をよろこんで生きてきたものだよ。だがときには思うことがある。何もかも知りつくしてしまったら、死ぬことのほうがもっと喜べるんじゃないか、とね」
(新潮文庫「ジーキル博士とハイド氏」50頁より引用)

「わたしは、今後、徹底した孤独の生活を送るつもりだ。きみにさえも面会をお断わりするようなことが再三あっても、おどろいたり、わたしの友情を疑ったりしないでくれたまえ。どうか、わたしには、わたしの暗い道を行かせてほしい。わたしの上には、みずから招いた言葉に尽くせない刑罰と危険とが、おおいかぶさっている。わたしがもっとも罪ふかい人間なら、わたしは、また、もっとも悩みの多い苦悩者でもあるのだ。人間を、こんなにもひどく打ちのめしてしまう苦痛や恐怖が、この世の中にあるとは、思ってもみなかったほどだ。アタスン君、わたしの運命を軽くするために、きみにしてもらえることは、たったひとつ、きみが、わたしの沈黙を尊重してくれることだ」
(同書51頁より引用)

Image by Grae Dickason from Pixabay

感想

一般的な社会に住む人間の心理には、個々の違いはあれど「善」と「悪」が存在しています。
道徳や宗教倫理などは置いておいて、この物語における「善」とは表層的な心理や社交的な行動を指し、一方で「悪」とは深層心理に潜む願望や独善的な行動を表します。

たとえ悪人たれど、犯罪者たれど、その行動には彼らの美学が存在し、思考が存在する。
その美学が人間の「善」であるのです。
この物語では「善」「悪」は道徳や倫理で学ぶものではないのです。

例えば車通りのない横断歩道の信号が「赤」であったとき、渡る人もいれば立ち止まる人もいます。
立ち止まる人の中には、立ち止まることを「正しい」と考える心理もあれば、「渡っちゃおうかな」という心理もある。これは渡る人も同様です。

その様なふとした場面で反対になり両立する心情・心理は私も持ち合わせています。
人間の持ち合わせる「悪」(深層心理・独善的な行動)は表に出せば腐敗を引き起こし、ひいては社会上の犯罪や道徳に反するといった行動に繋がっていくのでしょう。
しかしながらそのような心理をもちあわせているだけでは、咎められることは無く。
多くの人間が、それと同様に持ち合わせる表面の社交的行動、いわゆる理性という「善」が願望を制止するように働くためです。

本書では人間の二律背反的な心理を詳細に記し、そのうえで急速かつ大胆に物語が進んでいきます。
主人公ジーキル博士はアタスン弁護士の視点で描かれ、巻末ではジーキルとハイドの、ある種独善的で悲壮に満ちた告白のような陳述書がラストを飾ります。
自身の思うがままに生きていたいと願うハイド氏の請願書か、自身の栄誉をそのままに死にたいと願うジーキル博士の遺言書か。
どちらともとれるその文章は、人間にとって「自身の存在」の不透明さを刻々と囁くようです。

科学が進み、人間の手は宇宙や地球の裏側など遠くの場所にまで及ぶようになりました。
つまり人間は、身体の外部への知を歩み進めてきたのです。
けれども身体の内部への研究はどうでしょう。哲学や倫理・道徳の研究が「魂」や「存在」の証明を果たせる日は来るのでしょうか。

この物語は確かにフィクションで、現実には起こりようもない実験の産物です。
しかし架空の物語の中にこそ本当の意味で人間を表す言葉が隠れていると感じます。

備考

書籍

新潮文庫 ロバート・ルイス・スティーブンソン ジーキル博士とハイド氏

アイキャッチ画像
Image by Daniel Nebreda from Pixabay

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