エッセイ「弔集」

作品投稿

小説を書く気が起きず、そしてメモ帳にたまり続けていた思考を整理するために書いてみました。少し興に乗ってしまったところもあるので、どうぞお手柔らかに

本文

 幼い頃に「死ぬ」とはどういうことか考えていたら、眠れなくなった。真っ黒な部屋の中、一人で眠るようになったばかりのことだ。隣のリビングでまだ晩酌していた父に、眠れない、と伝えると

「怖い夢を見たのか」

 と聞かれた。布団に入ってから一睡もしていなかったけれど、うんと首を縦に振った。父がつまみにしていた青森県の鮭とばをホットミルクと味わった。この日何気なく考えた「死ぬ」ということが、ずっと私の足元に落ちている気がする。

 幼い妹に「死ぬ」ということを教える時、私はしばしば「大切な人に会えなくなってしまうんだよ」と言った。丁度、自分でどこまでも歩いていくようになった年頃だ。うっかり車道に飛び出たものだから、母さんともう会えなくなるんだ、と言い聞かせた。妹は幼いながらも利口な子で、それ以来、車道を飛び出すことは無くなった。一方で弟にも同じように言い聞かせていたのだが、弟はそれでも危険な行為を辞めなかった。ショッピングモールの駐車場に車を止めようとすると弟はドアを開けてぴょいと飛び出した。まだエンジンもかかっていて、車もバックしている最中に。母は怒っていたけれど、遠くから早く来いとばかりに大手を振るう弟を見ていると呆れて笑うばかりだった。そうして親族中から、あいつはきっといつか死ぬだろう、と言われていた。弟は一度も車にはねられることは無かった。

 「死ぬ」というのは大切な人に会えなくなるということ。そう解釈していたけれど、弟にとって、大切な人というのは死ぬことを引き止める条件にはならないようだった。

 悪いことを考え出した翌週に、ひいばあちゃんが亡くなった。私は虫の知らせを受けて、死ぬことについて思案し始めたのかもしれない。丁度一週間前にひいばあちゃんは入院していたそうだ。自宅療養に変更になってすぐに亡くなった。妹はまだ母の腹の中にいた。葬式場が青森だったので父だけが葬式に向かった。ひいばあちゃんは布団の上で眠った。そのまま息を止めた、らしい。死んだ場所があまりに遠すぎて、その呆気なさに「死ぬ」ということが近づいてきたように感じた。ふとした瞬間に死んでしまうのに、枕元に立たれるまで気付くことができない恐ろしさを感じた。それが一人寝をはじめた小学生の夜への恐ろしさと相乗した。小さな体には、将来の成長を見越して買われた大きなベッドが頼りなかった。漸く眠れるようになったのは母が夜なべして作ってくれた抱き枕が、ベッドの半分を埋めてくれたときだ。私は今も、何かを抱きしめて眠る癖が抜けない。

 ベッドを埋めてくれたものといえば、抱き枕の他に、猫がいた。もう死んだ、はずだ。キジトラの雑種だった。私が生まれる一年前に父が拾ってきて育てていた。私が中学に上がるころに姿を消してしまったので、死んだかどうかはわかっていない。当時もう高齢でよく寝ている私の足元にゲロを吐いていた。寝ていてつい踏んでしまった時は最悪だった。生暖かさと唾液のぬめりが足親指と人差し指の間に入り込む。ペットフードは形そのままに、胃液で柔らかくなっている。ティッシュでケロを包んで、袋にまとめて捨てる。それを夜中の三時にやる。眠い目を擦りながら。実際に擦ると顔にゲロがつくので、溜息を吐きながら片づける。そんな私を横目に、猫は私が寝ていたベッドの体温の残りをかみしめながら寝てしまう。もうそんなに機敏には動けないから、食べて吐いて、寝る一日を過ごしていた。

 そんな猫はある時玄関の隙間から逃げていった。誰も逃げたことに気が付かなかった。数時間して、帰ってこない猫を父が心配し始めた。数日帰ってこなかったから、家族全員があの猫は死んでしまったと決めた。もしも死ぬならこの猫の様に死ぬのが一番美しいと思う。死んでいるかもしれないし、生きているかもしれない。曖昧さが希望になって、悲しみを打ち消してくれるような気がする。どこかで元気でいてくれればいいなと。体が成長しきった今も、ベッドで寝ていると足元を何かが歩いているような感覚がある。科学的に言えば、疲れた足が脈打っているだけだ。けれど死んだのだろうあの子が帰って来てくれたのかな、と楽観できる。

 私が大学生になってから、二回、車に轢かれた猫を見た。一度は白猫で、もう一度は黒猫だった。

 白猫の時は目の前で車が轢いた瞬間を見てしまった。灰色のつくばナンバーが轢いた。鈍い音がして、私が乗っていた自転車の前をゴムまりの様に吹っ飛んできた。白猫は足をぴくぴくと痙攣させていた。夜中の事だったから、全様が見えたわけではない。アスファルトにじわじわ広がる水たまりが、停車させた自転車の前輪に触れた。轢いた車の運転手は路肩に停車した。助手席から女が下りてきて、げぇと吐く真似をしてからスマホで動物病院を調べ始めた。もう一度白猫を見ると、死ぬ間際の力を振り絞って態勢を変えたようで、はみ出た腸と外れて皮膚一枚でつながっている下顎が露見するように寝転がっていた。傷口がごつごつしたアスファルトに当たっているのが痛かったのかもしれない。その姿が轢いた人間の記憶に強く残るように、人間を恨むように、呪うように体躯を変えたようにも見えた。運転手は一度も運転席から降りてこなかった。私は咄嗟にハンドルを逆に動かして、遠回りをしながら急いで家に帰った。帰宅して見えたものを友人に吐露した。自分の乱高下する気分を落ち着けたかったのだ。友人はただ一言、かわいそうだったね、とだけ言った。一年後、白猫が死んだ場所にはコインパーキングができた。

 白猫が死んでから一年半後に、車に轢かれた黒猫を見つけた。朝九時頃。寝坊して急いでバイトに向かう道中のことだ。小学校付近にある小さな公園に、黒猫が死んでいるのが見えた。本当のことを言うと、猫であったかはわからない。尻尾が千切れていたから。首輪が細く青チェックの布地で、リードを付けられるものではなかったから、猫ではないかと思っている。死んでいても真っ黒な毛並みが日光を照り返す猫だった。傷口は見えなかった。数匹コバエが集っていた。このコバエたちが、私に黒猫が死んでいることを教えてくれたのだ。残念ながら急いでいた私は、黒猫を弔うことは出来なかった。六時間半のアルバイトを終えて帰宅する時には、黒猫はもう片付けられていた。職場の人たちは黒猫と聞くなり、この話からそっぽ向いた。黒猫が横切ると不幸になるから死んでくれてよかったじゃない、という人もいた。ただ毛の色が違うだけで随分と弔う言葉が変わるものだと気付いた。

 白猫と黒猫と、同じ猫でも姿が変わると人間の受ける感情が変わる。私はそんな人間を浅ましいとか愚かしいと言いたいわけではない。だって私も蝉が死ぬのと蝶が死ぬのとで発する感情が違う。私も一喜一憂する人間だもの。

 私の今住んでいるアパートは一年前に階段の電球が変わった。白熱電球だったころはカメムシも蝉も蜂も近づいてきた。階段の踊り場で蝉と大きなカメムシに囲まれて一時間動けなくなったこともある。その時蝉は羽を地面につけて足を広げていたのだが、この状態が生きているのか死んでいるのかわからなくて私は動けなくなってしまった。猫の、姿も見せぬまま、生きているのか死んでいるのかわからない死に様は美しいと思う。蝉の様に死ぬ間際の姿を晒して生きているか死んでいるのかわからないのは下品で醜いと思う。ただ姿が見えているか見えていないかの違いでしかない。その階段に真っ白な蝶が倒れていた。一つの紋様もなかった。蝉の様に醜い姿を晒していたのに、私はその蝶を綺麗だと思った。一瞬目を奪われた。そして一瞬で理性が働いた。明日には掃除のおばちゃんが来てこいつも片づけられるだろうと、箒でごみと一緒に塵取りに入れられる姿を想像した。白い羽も埃に塗れて灰色になる。時間は夜の十二時だった。シンデレラグレイも魔法の解ける時間だと、ふいと首を振って、一歩を踏み出した時だった。ふよふよと蝶が空に浮いた。死ぬ間際の力を振り絞った羽ばたきであった。蝶は階段の手すりを飛び越えて、黒いアスファルトの地面に着地した。墜落したと言った方が正しかったのかもしれない。どちらにせよ、上階から見るアスファルトの地面は真っ暗で、そこに白い蝶の羽が一点。それは一等星のようにはっきりと命を燃やしていた。

 夏の終わりは虫の生涯終期である。蝉も蝶もカメムシも、カブトムシでさえ至る所に落っこちている。あの蝶の一件から、私は嫌いだった虫に目を向けるようになった。一度、蝶の死んだアパートで私はカメムシを踏んだことがある。踏みしめるまでそこにいたことに気が付かなかった。だから踏む前に息絶えていたのかもしれないし、私がとどめを刺したのかもしれない。とにかくソイツを踏んだ途端、バリバリという音がした。固い緑の甲殻が壊れる音だ。底の厚い革靴で踏んだにも関わらず、私の足の裏は一つの体が壊れる感覚をしっかりと感じていた。足の裏、親指の付け根の筋肉の下あたり。小石でも靴に入り込んだように不愉快だった。気味が悪いと思えば思うほど、足の裏に血が溜まるようで、ドクドクと脈打つ感覚があった。それが殺したはずの虫が足の裏で動いているようだった。蟻一匹を踏み殺したところで、こんな不快感は襲ってこない。むしろ殺したことにさえ気がつかないことの方が多いだろう。それがカメムシほどの大きさになると不愉快だと思う。蝶を踏みつぶしたら罪悪感を感じるだろう。

 この話を書き始めてから、カブトムシが私の足に落ちてきたことがあった。電信柱から落っこちてきた。サンダルを履いていた私の足の肉を摘んで這い上がろうとする。急いでサンダルを脱いで叩きつけた。離れまいと鉤爪が肉に喰い込んだ。飛ぶ力もなくなったカブトムシはある一撃でポロリと転げ落ちていった。あれは私が殺した命だった。「死ぬ」ということは、存在感の大きさで相手に与える印象が違うものだ。

 虫の中で最も感動した死に様はカマキリだった。大学生になって初めて金に困り、私が交通誘導警備員のアルバイトを始めた時だ。交通誘導警備員の仕事は夜中ずっと誘導棒を振っているものもあれば、ただ工事現場の前に立ち呆然と過ごしているだけの時もある。どんな仕事をするにせよ、日給一万円。学生も、フリーターも、長年警備員をしている人間も変わらず一万円だ。昇給も減給もない。代わり映えのしない肉体労働は案外私に向いていたようで、その日は頭の中で大学の課題について思いを巡らせながらガソリンスタンドの前に立っていた。そのガソリンスタンドの撤去工事だった。どこから出てきたのか、一匹のカマキリが、ガソリンスタンド前の道路を渡ろうとしていた。よろよろと、大きなカマを広げて自動車に威嚇する。それを私はぼんやりと見ていた。轢かれるなぁ、と思いながら見ていた。そのうちに一台の乗用車がカマキリの後ろ足を轢いた。バサ、と乾いた音がした。車に比べればカマキリの体など十分の一もない。それでもしっかりと大きな音が響く。走り去った車にカマキリは威嚇した。足を引き摺って、飛べない羽を広げた。昆虫にしては立派な足を踏ん張って、一歩歩き出した。その時ガソリンスタンドに入ってくるトラックがカマキリを真っ平らに押し潰した。乗用車よりも大きなタイヤで踏まれたカマキリは道路のシミになってもう立ち上がらなかった。カマキリが渡ろうとした道路は四車線道路だった。

 この世界には小さな者に情けをかけて命を絶やさぬように避けてくれる話などない。死ぬときはあっと言う間で、死んだ後も物語が続くことなんてない。ただ人間の独特の習慣として弔うという性質がある。私が死んだ者たちの最期を文章として残すのは一種の希死念慮の代打として利用しているのであり、そして罪悪感からの精一杯の弔いである。

 たった一滴の水でも命を奪うことはできる。春の終わり、梅の花が咲くころ、駐輪場の新しく舗装されたコンクリートの上に水たまりがあった。そこに風で飛んできたタンポポの種が落ちてきた。綿毛は水を吸って、二度と風に身を任せることは無い。コンクリートの上なのでタンポポがそこで芽吹くこともない。やがて夏が来て、生暖かい風が種を腐らせてしまった。それに気が付いていながら、私は種を移動しようと思わなかった。いつも急いでいて、種に気がついても移動する時間がなかった。手を汚してまで助ける余裕がなかった。

 春は残酷な季節だ。自然の資本主義競争が見えて嫌になる。人は花見だといって梅や桜や桃には敬意を払う。その下にいるタンポポには目をくれない。タンポポならまだマシで、目の前に咲き誇る樹木花よりもタンポポを好む変わった人もいる。しかし散った桜の花びらが役目無く土にまみれてもだれも見向きもしない。枝についていた時は持て囃すのに、地に落ちた途端に踏みつぶされる。ただの草花にそんな人間の事情を当てはめて考えるのも、風情がなく残酷なことだ。

 花見酒をしながら大学の先輩と散り際について話したことがある。私にとって先輩は波長の合う人だった。自己破滅的で刹那快楽主義な人だった。タンポポを愛でるようにその人と話す時間が好きだった。私には言語化できない感覚をしっかりと言葉にする能力を持っている人だ。一度その人の書いた文章を読んでみたいが、刹那快楽主義故に文章を書くことができないと言っていた。

「話す言葉なら苦痛はないんだよ。出ていくのも一瞬で、受け取るのも一瞬で終わるから」

 そんな先輩も社会人になった。もう私とは哲学的な話はできないと一蹴されてしまった。先輩との会話の弔いとして、散り際の話をする。土にまみれた桜の花びらが資本主義に敗退した人に見えると言い出したのもその人だ。

「死ぬというのは『終わる』ということだ。タンポポが綿毛を飛ばすのは終わりじゃない。次に繋いでいるからね。本当に死ぬというのは桜のようなものだ。あれは実は種を残さないから次がないんだ」

「じゃあ死ぬってどういうことですかね。次に残しているなら、子ども産んだ人は皆終わってないってことですか」

「そうさな。人間が死ぬのは人間皆いなくなったときだけだよ。それか次につながる実を結ばずに死んだときだけだと俺は思うよ。自殺とか子どもの虐待殺とか」

「心中とか」

「心中でも子どもを残してたらいいんじゃない」

「残された子どもにとっては地獄ですよ」

「地獄かどうかわからないじゃない。君は両親がいるんだから」

 その先輩の口癖はいつも、俺からすると、だった。少し気取っている感じが好ましかった。

「俺からすると、希死念慮っていうのは死にたいとか幸せになりたいなんて綺麗なものじゃない。子どもが仮面ライダーやプリキュアに変身するようなものだ。違う生き方をしている自分が見てみたい、そんな感情なんだよ」

「先輩は仮面ライダーになりたいんですか」

「いや、俺はプリキュアになりたいね」

 そう言って紙にフリフリのドレスを着た女の子の絵を描いた。敵と戦うには全く適していない服装だった。明言しておくと、先輩はトランスジェンダーとかフェミニズムとか政治的な類ではない。

「プリキュアは顔を隠さないんだ。俺もまったく自分の人生を恥じているわけではなくて、ただ人生の一瞬一瞬に別の選択をしていればよかったと積み重なったものが俺なだけなんだ」

こんなことを言っている先輩も昨年新入社会人になってしまった。ヨレヨレの数日洗ってないシャツを着ていた先輩は、アイロンがけされたスーツに身を包んで別人になった。あの時の話をすると先輩は

「あの頃は若気の至り、何時までも抜けない厨二病だったんだ。もうプリキュアにも仮面ライダーにもなれないって諦めがついたよ」

 と言う。先輩、アンタ、スーツを着て変身してしまいましたね。

 歳の差一年だったはずが、私が大学の必修単位を落としたので先輩は私より二年早く卒業する。見栄っ張りで子どもの私は、資格を取るため、と嘘をついて一年留年することにしました。来年から子ども三人の扶養家族は学費が無料になるらしく、運よく親は納得してくれた。一年のモラトリアムは一緒に入学した同級生を大人にした。私は嘘を本当にするために、仮面ライダーを目指している。

 生きるのが上手い同級生がいる。ソイツは夏に内定をもらって、残り半年を旅行や趣味に費やしていた。そういう人は初見、大学三年間をまともに過ごしてきたんだろうという印象を他人に与える。蓋を開けてみれば異性トラブルが絶えない人だったのだが、たった数分の面接では見抜けないらしい。三年間をまともに過ごしてきた別の友人は、ソイツのことを羨ましいと言い随分と就職活動に難航していた。半年後に真面目な友人と話した時、出てきた言葉は

「就活より婚活したい」

 だった。彼らを見ていると、まるで蛹みたいだと私は思う。蛹の色が緑か茶色か、大きいか小さいかで、孵化した後の蝶を予想し競りにかけているみたい。緑色で大きな者なら選ばれやすく、茶色く小さいものは選ばれにくい。その違いは葉の裏で擬態したか、枝で擬態したのかだけ。孵化したのが蛾でも蝶でも、蛹が美しければいいのだと。モラトリアム期は他人を酷く冷笑してしまう時期にあるようだ。どんどん自分の性格が悪くなっていく。こんな事を書くと、当の本人たちに見られたときに殴られそうだな、と思うけれど、大学生活へ見切りをつけた同級生たちとの弔いと自己解釈しよう。

 バイト先では何度も、今年卒業なのか聞かれます。いつ大人になるのかと聞かれているみたいでいやだなぁ。一人バーで飲んだニコラシカは思いのほか酔いの巡りが早い。酔いは飲んでいる時よりも店を出た後の方が実感する。夜風に当たりながら、少し赤くなった月を見ると、自分の歩調が上手く前に進まないことを実感するのだ。それで自分が酔っていると気付くことができる。そう言えば自分はいくら金を出したかしら。お釣りはちゃんともらったかしら。残りの財布の温もりを意図しない酔いは気持ちがいい。ほら、今日も執筆の手が良く進むじゃないか。イヤホンで聞いている音楽も少しばかり早く再生されるように聞こえている。自分の記憶の断片が途切れ途切れになっているせいだろう。気がつけば椎名林檎もヨルシカも通り過ぎていった。私は子どもでもない、大人でもない、大人ごっこを続けている。

 頭の中に残る酔いは、アイツみたいだ。いつかバイト中に見かけた干からびた猫の死体。猫の死体を二回見たといったけれど、よく思い返してみれば三回あった。三回目は交通誘導警備のバイトの時だった。車に轢かれて、歩道に打ち上げられた猫の死体とずっと目線を合わせながら誘導棒を振った。頭上の電線に猫の死体を狙う鷲やらカラスやらがいて、糞が堕ちてきたら嫌だなあと思っていた。目の前の猫に対しては何の感慨を見抱いていなかった。だってもう死んでるもの。飼い猫でもなかったもの。ただ目が合うだけ。脳内の片隅には存在しているけれども、私は意識していない。酒に酔うのはあの感覚に似ている。見つめているのは理性のある自分かもしれないし、記憶の断片かもしれない。どっちでもいいんだ、酒に酔っている間は波に溺れるように快楽に身を浸していたいのだから。

 坂口安吾の「不良少年とキリスト」で文学にフツカヨイはないと言われていたけれど、酔っている今ならあの文章の意味が分かる気がする。酔っている時に「本当はああいいたかったんだ」「こういいたかったんだ」ということは出来るけれど、文学上にはない。出版されたものが全てで、自分の実力に酔いしれて書かれた文章が本当に自分の言いたいことなのだ。そう言うことだろう。いくら道化をしたって文学上では「本当はこういう筋書きにしたかったんだ」は通用しない。そう言うことだろう。対外私も今酒におぼれている。明日はフツカヨイかな。

 夜は古来から死や終わりを意味する。それは闇から飛び出す獣や虫や病気や――死ぬ要因に怯えていた人間の生存本能だろう。一寸先は闇、という言葉があって、ここで光を使わないのは闇こそが死ぬ危険性を考慮してのことだ。現代になって南極と北極以外のほとんど全てを人間が居住するようになった。野生動物は征服された。夜は安全になってしまった。人間が死について悩むときは大抵夜だ。死に怯えなくて良くなった人間たちはどれだけ死に近づけるかのチキンレースを始めた。深夜徘徊も大量飲酒も自傷行為も社会的制裁も、どれだけ自分が死に近づけるか、死に近づいて戻ってこられるかを競っている。競って相手に強さを認めて欲しい。私はこれだけ死に近づいたんだと。若い人たちは自殺未遂、狂言自殺を繰り返し、老人たちは墓と病院自慢を始める。若い人たちが死に憧れるのはくだらない競争のゴールテープがそこにあるからだ。けれどもゴールテープを切ってはいけない。これは正論倫理道徳などではなく。生と死は表裏の関係で、死の存在感が薄れることで生の存在感も消えていくのだろう。しかし表裏一体と言えども死は生の表に出てくることはない。色のついた折り紙のように生は彩られていて、死は白くいつも裏側である。だから死んでしまえば白はあっと言う間に極彩色に彩られていく。死人に口はない。死人には肖像権も名誉棄損もない。どれだけ後付けの規範で咎めても現代はそうなっている。葬式で死者が白、生者が黒を着るのは、死には染まらないことを示しているんじゃないかと勝手に解釈している。

 最近高齢者に二パターンある時がついた。一つは貫禄があって、死を真面目に捉えて人生を彩る人。もう一つは死から逃れ続けて恥をさらし続ける人。私の祖母が後者である。前者は死後に素晴らしい人だった、と称賛されるのに対して、後者は生前から早く死んでほしいと思われる。しかし平均的に長く生きるのは後者である。不用意に自分から死に近づかず、高みから冷笑しているからである。前者で長く生きている人がいるならば、その人の貫禄は素晴らしく偉大なものだろう。その人はチキンレースに一人勝ち続けているからである。長生きな前者はそれだけで敬意を払うべきだ。自分が同じように生きていたいと思うならば学びは多い。

 今日も猫の死骸を見つけた。この四年間で四回目だ。少し多いだろうか。自分がつい探しているからかもしれない。以前同じ場所でカラスが死んでいたのを見たことがある。今日は猫だった。明日は誰だろうか。そう思いながら家路を急いだ。

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