人はなぜ生きられるのか――「ショーシャンクの空に」感想・考察

カーテンコールのあとで

人はどうして生きられるのだろう。

『ショーシャンクの空に』を見ながら、そんなことを考えていました。
この映画はよく「希望の物語」と呼ばれています。

たしかにその通りだと思います。

けれど私は少しだけ違和感を覚えました。

刑務所の外で生きられなかったブルックス。
刑務所の中でも未来を失わなかったアンディ。
そして、その二人の間に立つレッド。

彼らの違いはなんでしょう? 

未来へ生きることと、未来を捨てて死ぬこと、それを分けたのはなんだったのでしょうか。

映画が終わった後も、私の中では「希望の正体」が静かに渦巻いていました。

希望の物語? 私が感じた違和感

1.ブルックスはなぜ死ぬことを選んだのか

私は、ブルックスが自殺を選んだ理由、「絶望した」というにはあまりに説明不足のように感じてしまうのです。

「希望の正体」がわからぬままに希望を失う、ではブルックスの人生から奪われたものは一体何だったのでしょう。

社会に適応できなかった

それがブルックスの手紙から感じられる事実です。
あまりに早すぎる世界。自分の知っていた過去の世界とはかけ離れすぎてしまった世界。

ここでわかることとして、ブルックスから奪われたものは「時間」でした。

外の世界に適応していくための「時間」であり、
外の世界で自分が過ごせるはずだった「時間」であり、

そして、刑務所の仲間と過ごせるはずだった「時間」です。

しかし「時間」という言葉でさえも、ブルックスから奪われたものとして適切ではないような気がします。

なぜなら奪われた「時間」は長くても、短くても、アンディやレッドも奪われているものだからです。

つまりこの映画で描かれる「希望の正体」はブルックスからは奪われ、アンディとレッドからは奪われていないもの、と考える必要があります。

2. 「代わりが利く」のは苦しい

ブルックスは刑務所の中では

  • 図書係
  • 古株
  • 面倒見の良い老人

でした。大抵の時間を誰かと共にいて、誰かに必要とされていました。
そしてそれは人間だけではありません。

ブルックスは巣から落ちた雛を大事に育てていました。
胸に入れ、寒さや苦しさから防いでやっていた。

そして映画中盤、彼には仮釈放の通達が届きます。
ブルックスは怯えました。

ブルックスは仮釈放を“望んでいなかった”とは言い切れません。
ただ少なくとも、仮釈放された時の彼にとって、それは希望ではありませんでした。

刑務所の外に出ることは、自由を得ることではなく、自分が必要とされていた場所を失うことだったのです。

自分がいなくても世界は回る。

外に出たブルックスにも、仕事と住む場所は与えられました。

けれどそれは、刑務所の中で彼が担っていた役割とはまるで違うものでした。

図書係として本を管理し、雛を育て、仲間に声をかけられる日々。
そこには「ブルックスでなければならない」時間がありました。

けれど外の世界で与えられた仕事は、彼でなくてもよかった。

生きるための場所は用意されている。
けれど、そこに自分が必要とされている感覚はない。

それは自由というより、世界からそっと外されてしまったような孤独だったのではないでしょうか。

私も経験がありますが、自分が代わりの利く人間である、という意識は苦しいものです。
代わりが利く、というのは、自分の存在価値が無いように思えてしまいますから。

3.レッドの前にも、壁

映画の終盤、レッドにも仮釈放の通達が届きます。

刑務所から街へ向かうバスの中で、レッドの顔には怯えが浮かんでいました。
彼もまた、刑務所の生活に深く慣れ親しんでいたのです。

かつて刑務所の壁は、彼らを閉じ込めるためのものでした。
けれど長い年月の中で、その壁はいつの間にか、外の世界から自分を守るものへと変わっていた。

その壁の外へ、レッドは追い出されます。

心の整理がつかないまま、彼にもブルックスと同じように仕事と住まいが与えられました。

ブルックスが自ら命を絶った部屋。
その梁には、彼が遺した文字が刻まれていました。

そしてレッドもまた、その部屋に自身の存在を刻みます。

けれど、それは碑文ではありませんでした。

むしろアンディが刑務所の壁を彫り進めたように、レッドの文字は未来へ向かうための痕跡だったのではないでしょうか。

レッドは、刑務所から追い出された外の世界で、ひとつだけやらなければならないことを見つけました。

アンディに会いに行くこと。

ここで私は、希望とは一度「役割」と呼べるものなのではないかと思いました。

ブルックスは、自分が必要とされる場所を失いました。
けれどレッドには、アンディとの約束が残されていた。

その約束が、彼を生きることへ引っ張っていたのです。

4.希望=役割?

希望とは役割である、と考えていくと多くの点で合点がいきます。

映画の主人公であるアンディを考えてみましょう。
彼もまた19年、無実の罪で刑務所に囚われ、レッドやブルックスと同じように多くのものを奪われました。

しかし映画をよく見返してみると、アンディの役割は面白いほどに変わっていくのです

利用される才能

映画序盤、アンディは「不思議な人間」でした。
感情が読めない。
無実だと主張するけれど、本当に無実かはわからない。

刑務所内ではあまり人と関わることをしない、物語上、まだ必要とされていない人間です。

さてメタ的な視点で言えば、刑務所の恐ろしさや残酷さを伝える役割がありました。
先輩囚人に性の捌け口として扱われ、暴力によるボロボロの身体、誰も助けてくれない現実……。

彼が無実だとわかってから見直すほど、目をそむけたくなる前半です。
その悲惨さが徐々に変化していくのが中盤でした。

アンディの有用性を理解した所長や、刑務官たち、さらには外の世界の人間までもが彼の能力を頼りに来る。

アンディも自身の有用性を確認し、最大限利用していきます。
生まれた利益を刑務所の囚人たちに還元していくのです。

自ら選んだ役割

図書館を改良し、囚人たちに勉強を教え、そして未来へ導いていく――
これはアンディの「役割」でした。

アンディは囚人たちに高卒認定を取得させていました。

なぜ、囚人の彼らに未来を見せるようなことを行うのか?
彼は明言してはいませんでしたが、社会に復帰した後に「役割」を自力で見出すための、手助けがしたかったのではないでしょうか。

トミーに高卒認定の試験を受けさせたことも、彼が家族のもとに復帰した際に、役割を見出せるようにするためでは無いでしょうか。

アンディは役割が社会に戻るための希望であると、知っていたように考えられます。

そして終盤、脱獄した後もアンディにはまだ役割があります。

所長の悪事を告発すること、そしてレッドを壁の外で待つこと。

彼は悪事の資料を公にしました。
そしてレッドと約束した場所へ、手紙と黒曜石を残したのです。

外に出たレッドにもまた、アンディとの約束を果たすという役割がありました。
手紙を見つけた後は、役割がアンディの元へ行くことへと変わっていくのです。

ここでブルックスに立ち返ると、彼の孤独がより一層理解できます。
アンディやレッドのように、未来を約束した仲間がいないこと。
体の老化により、役割を探す気力もないこと。
なにより外の世界への知識がないために、役割を見つける糸口さえもつかめないこと。

これがブルックスの社会的な孤立を深めてしまったのです。

5. 役割だけでは説明できない、希望の眩しさ

ここまで考えると、希望とは「役割」であるように思えてきます。

ブルックスは刑務所の中で役割を持っていました。
図書係であり、古株であり、仲間に必要とされる老人でした。
けれど、外の世界に出た瞬間、その役割は失われてしまいました。

一方で、レッドにはアンディとの約束がありました。
アンディが残した言葉を辿ること。
石垣の下に隠されたものを探すこと。
そして、彼に会いに行くこと。

その役割が、レッドを未来へと引っ張っていきました。

では、やはり希望とは役割なのでしょうか。

けれど私は、ここで一度立ち止まる必要があるように思います

なぜなら、役割があることと、希望があることは同じではないからです。

考えてみましょう

アンディもまた、刑務所の中で必要とされていました。
所長や刑務官たちは、彼の能力を頼りにしていました。
税金の処理をさせ、資産運用の相談をし、不正な金の管理まで任せていた。

たしかにアンディは必要とされていました。

けれどそれは、希望だったのでしょうか。

少なくとも、所長に必要とされることは、アンディを救うものではありませんでした。
それは彼の能力を必要としていたのではなく、彼の能力を利用していただけだったからです。

その利用の果てに、アンディがささやかに願っていたトミーの未来は、無慈悲にも奪われてしまいました。

必要とされることは、時に人を支えます。
けれど、ただ利用されるだけの役割は、人を未来へ連れていってはくれません。

ブルックスにも役割はありました。
アンディにも役割はありました。
レッドにも役割はありました。

けれど、その役割が希望になるかどうかは、別の問題なのです。

希望になる役割とは、ただ誰かに必要とされることではない。
誰かに使われることでもないのです。

6. 希望とは「未来の誰かとの繋がり」である

私は人とのつながりを役割と誤解してしまいました。
単なる「つながり」でも希望ではない。「役割」であっても希望ではない。

アンディがずっと見てきたものは未来です。
自身の脱獄する未来
トミーが円満な家庭に居場所を見つける未来
囚人たちが社会復帰し役割を見つける未来

そして、友人であるレッドが仮釈放になった後の、未来。

自分がその先の未来へ歩いていけると思えること。
そして、その未来に誰かとのつながりが残されていること。

そこにこそ、この映画が描いた「希望」の正体があるのではないでしょうか。

おわりに

少し余談になりますが、塾で英語を教えていて思い出したことがあります。
英語では、hope や wish など希望や願望を表す動詞の後ろに、不定詞が続くことが多いのです。

hope to do
want to do
wish to do

不定詞の to は、しばしば「これから起こること」や「まだ実現していない未来」を表すと教えられます。

一方で、動名詞や分詞は、すでに起きたことや進行していることと結びつきやすい。
そう考えると、希望とは文法的にも未来との結びつきが強い概念なのかもしれません。

ブルックスには、自分を語る to がなかった。
けれどアンディやレッドにはあった。

to escape
to meet
to live

希望とは、未来形で自分を語れることなのではないでしょうか。

そんなことを語ってみても、希望の正体を、私はまだ言い切れません。

けれど少なくとも、
人は未来の誰かと繋がっている時、
もう少しだけ前へ歩けるのかもしれません。

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