自尊心の萌芽「斜陽」太宰治

日々雑記

お疲れ様です! 現在連勤13日目の私です!
どんなにつらくとも太宰先生の著作を読めばストレス発散になっています。とはいえ体が辛いことにかわりはなく、ブログの更新が遅くなっているのは大変申し訳ないです。

死にたいなんて言いませんよ。少なくとも39歳までは生きてやります。まだ女子大生なのに短い命を散らすつもりはないですからね~
最近はプリキュアや仮面ライダーを見返すようになりました。幼い頃だと気が付けなかったけれど今になると気付く面白い伏線や映像効果がありました。幼い頃から良いものに囲まれて育ってこられたんだと思います。

さて今回ご紹介するのは太宰治の「斜陽」。私は一度中学生の時に読みました。
愛や恋を知らない中学生が読んでも珍紛漢紛だったこの作品。今読むと、じんわりと浸み込んでくるようでした。
太宰先生は今の倫理観ではクズと呼ばれる人間かもしれません。けれど悩んで悩み抜いて、それを言葉にして、小説という作品に落とし込んだ。私にとっては綺麗ごとを並べるだけの人よりもよっぽど先生の言葉が身に沁みます。
苦しんだ人の言葉が救う苦しみもあるんだと思っています。

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太宰治

自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、戦後を生き「走れメロス」「津軽」「人間失格」などの作品を次々に発表した無頼派作家。
没落した華族の生涯を描いた「斜陽」はベストセラーになった。

恋や人生に悩みながら生きた作家ですが、彼を知る坂口安吾、檀一雄の言葉を見ると、不器用な人間であったのだと思わされます。
個人的には檀一雄の「小説太宰治」や坂口安吾の「不良少年とキリスト」は読んでほしいなぁと思います。
社会が、歴史が動き、多くの人が文字を読める時代になりました。彼の作品を読めることを、私は幸せだと思っています。

作家別作品リスト:太宰 治
太宰治 | 著者プロフィール | 新潮社
太宰治のプロフィール:(1909-1948)青森県金木村(現・五所川原市金木町)生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935(昭和10)年、「逆行...

無頼派

戦後の近代既成文学全般への批判に基づき、同傾向の作風を示した一群の日本の作家たちを総称する呼び方です。
象徴的な同人誌はなく、範囲が明確かつ具体的な集団ではありません。
呼び名は坂口安吾の「戯作者文学論」からきています。
同書にて坂口安吾は漢文学や和歌などの正統とされる文学に反し、俗世間に存在する、洒落や滑稽と趣向を基調とした江戸期の戯作の精神を復活させようという論旨を展開しました。

斜陽 あらすじ

華族制度の廃止になったことで没落していく貴族の姿を描いた作品。最後まで貴族として美しく生涯を終えた母、母の死後恋に身を投じたかず子、麻薬に溺れ自ら死を選んだ直治。三人は同じ環境、同じ生活を共にしながらなぜ違う道を辿ったのか。

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好きだった言葉

好きな言葉が多いので、引用が多くなってしまうのをお許しください。
青空文庫でも読むことができますから、ぜひ、読んでみてください。

太宰治 斜陽

この、むずかしいことを、周囲のみんなから祝福されてしとげる法はないものかしら、とひどくややこしい代数の因数分解か何かの答案を考えるように、思いをこらして、どこかに一箇所、ぱらぱらと綺麗に解きほぐれる糸口があるような気持がして来て、急に陽気になったりなんかしているのです。

青空文庫/太宰治 斜陽

三十。女には、二十九までは乙女いが残っている。しかし、三十の女のからだには、もう、どこにも、乙女の匂いが無い、というむかし読んだフランスの小説の中の言葉がふっと思い出されて、やりきれない淋しさに襲われ、外を見ると、真昼の光を浴びて海が、ガラスの破片のようにどぎつく光っていました。あの小説を読んだ時には、そりゃそうだろうと軽く肯定して澄ましていた。三十歳までで、女の生活は、おしまいになると平気でそう思っていたあの頃がなつかしい。腕輪、頸飾り、ドレス、帯、ひとつひとつ私のからだの周囲から消えて無くなって行くに従って、私のからだの乙女の匂いも次第に淡くうすれて行ったのでしょう。まずしい、中年の女。おお、いやだ。でも、中年の女の生活にも、女の生活が、やっぱり、あるんですのね。このごろ、それがわかって来ました。

青空文庫/太宰治 斜陽

このような手紙を、もし嘲笑するひとがあったら、そのひとは女の生きて行く努力を嘲笑するひとです。女のいのちを嘲笑するひとです。私は港の息づまるようなんだ空気に堪え切れなくて、港の外はであっても、帆をあげたいのです。える帆は、例外なく汚い。私を嘲笑する人たちは、きっとみな、憩える帆です。何も出来やしないんです。

青空文庫/太宰治 斜陽

はばむ道徳を、押しのけられませんか?

青空文庫/太宰治 斜陽

この世の中というものが、私の考えている世の中とは、まるでちがった別な奇妙な生き物みたいな気がして来て、自分ひとりだけ置き去りにされ、呼んでも叫んでも、何の手応えの無いたそがれの秋の曠野に立たされているような、これまで味わった事のない悽愴の思いに襲われた。これが、失恋というものであろうか。曠野にこうして、ただ立ちつくしているうちに、日がとっぷり暮れて、夜露にこごえて死ぬより他は無いのだろうかと思えば、涙の出ない慟哭で、両肩と胸がしく浪打ち、息も出来ない気持になるのだ。

青空文庫/太宰治 斜陽

感想

久しぶりに読んだから色々と忘れてたり、改めて好きだなぁと思ったり。読み返すということはあまりしてこなかった私ですが、最近は吟味することもかねて読み返すようになってきました。

太宰先生の承認欲求って今のSNS普及によって抱える承認欲求に似た部分があって、それを早いうちからかなり正確に言語化している、その表現力が凄いなぁと思っています。
例えば「他人」に対して個で見るよりも、複数人の他人をまとめて一人の比較対象として偶像化して自身と比べようとしてしまう人間心理があるはずです。
運動が得意なAさん、勉強が得意なBさん、料理が得意なCさんが友人にいたとして、私達の思い描く「他人」は、私達が比較する「他人」は「運動も勉強も得意で料理上手な他人」になってしまいます。三人の良い所ばかりを摘出して「他人」という比較対象を作りだす。現代ではインターネットがありますから三人以上のもっと多くの人から長所を摘出してしまうでしょう。
そうして生まれた比較対象「他人」は時に私たちを鼓舞し、時に私たちを苦しめる存在になってしまいます。

私はこれから世間と争って行かなければならないのだ。ああ、お母さまのように、人と争わず、憎まずうらまず、美しく悲しく生涯
しょうがい
を終る事の出来る人は、もうお母さまが最後で、これからの世の中には存在し得ないのではなかろうか。死んで行くひとは美しい。生きるという事。生き残るという事。それは、たいへん醜くて、血の匂いのする、きたならしい事のような気もする。

青空文庫/太宰治 斜陽

「斜陽」においての母は理想の姿であると考えられます。それは貴族として、女として、妻として、母として、そして人間として理想の姿でした。
恐らく「お母さま」にも欠点があったはずです。しかしその欠点はかず子や直治には見えていないのです。そしてこの小説の読者にも見えづらい。
かず子視点で描かれているからこそ理想の姿に見える母。彼女の欠点の片鱗は随所に描かれています。段々と困窮していく別邸での生活も蛇という迷信に怯える弱さも、先を見据える能力の無さも。

かず子の視点では他人の良いところにばかり目が向けられているように思います。時々欠点に目を向けてしまいますが、相手の欠点に目を向けてしまう自分に嫌気がさしてしまう、そんな描写まで細かく描いていく。
太宰先生の文章は本当に自分の感情と向き合っているようで、言語化できることが羨ましいです。

待つ。ああ、人間の生活には、喜んだり怒ったり悲しんだり憎んだり、いろいろの感情があるけれども、けれどもそれは人間の生活のほんの一パーセントを占めているだけの感情で、あとの九十九パーセントは、ただ待って暮らしているのではないでしょうか。幸福の足音が、廊下に聞えるのを今か今かと胸のつぶれる思いで待って、からっぽ。ああ、人間の生活って、あんまりみじめ。生れて来ないほうがよかったとみんなが考えているこの現実。そうして毎日、朝から晩まで、はかなく何かを待っている。みじめすぎます。生れて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます。

青空文庫/太宰治 斜陽

太宰治はナルシストであったとよく言われます。
けれど承認欲求(過度なナルシズム)は自分を守る最後の砦であると私は思います。

ここでの承認欲求とは過度なナルシズムであり、自己を肯定する自信であり、それらは幼少期に他者とのアタッチメントで培われるもの。一番最初に培われる基礎的な心理とも考えられそうです(心理学云々ではなくあくまで私の考えです)

普通は偶像化した他人と自分の承認欲求の間に、親からの愛情、心許せる友人との友情、恋情、愛情などの防壁があって、簡単に心が折れないようになる。
現代に生まれて、普通に育てられた人間であれば、そうした心の防壁が沢山ある。問題は防壁が元から無い人間、防壁が剥がれ落ちた人間にとってどうしたら心を守ることができるのか。
誰も守ってくれない、誰も愛してくれない、誰も自分を肯定してくれないとわかった時、自分の心を守るために自分を愛するようになる。それがナルシズムの根底なのだと思います。
防壁を切り捨てて、切り捨て、最後に残るのは自分の尊厳を守るための過度なナルシズム。

さて登場人物にとっての心の防壁について考えてみましょうか。

かず子は承認欲求の前にお母様という防壁がありました。それは直治にとっても防壁ではありましたが、かず子と違って直治には最終防壁だった。
直治にとって最終防壁であるお母様もかず子には替えのきくもの。かず子にとっての最終防壁は恋でした。
そして恋に敗れても、子どもという新しい防壁を手に入れたかず子はこれからも強く生きられるだろう、と示す美しい終わり方。
かず子にとっての子ども、直治にとってのママが過度なナルシズムの前にある最終防壁だったのかなと考えると、かず子という女性の残酷な生き強さと直治の弱さが美しく対比されてるなと感じます。

私は、お母さまはいま幸福なのではないかしら、とふと思った。幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、あれが幸福感というものならば、陛下も、お母さまも、それから私も、たしかにいま、幸福なのである。静かな、秋の午前。日ざしの柔らかな、秋の庭。私は、編物をやめて、胸の高さに光っている海を眺め、
「お母さま。私いままで、ずいぶん世間知らずだったのね」
 と言い、それから、もっと言いたい事があったけれども、お座敷のすみで静脈注射の支度などしている看護婦さんに聞かれるのが恥ずかしくて、言うのをやめた。
「いままでって、……」
 とお母さまは、薄くお笑いになって聞きとがめて、
「それでは、いまは世間を知っているの?」
 私は、なぜだか顔が真赤になった。
「世間は、わからない」

青空文庫/太宰治 斜陽

世間知らず、とはなんでしょうか。
20数年生きていますが、私はまだまだ世間から見れば世間知らずでしょうね。
でも世の中には50歳になっても、それより上の年齢になっても世間知らずだと言ってやりたくなるような人がいます。
黒船が来航したことで世間は日本だけを指す言葉ではなくなった。インターネットが広がって日本の常識は世界で通用しなくなることも増えた。世間はつながる人の数だけ増えていくようになった。
世間知らずだと、そんな言葉を他人に投げる人ほど、世間知らずだと思います。

太宰治は現代の倫理観では自己中心的で、ナルシストで、いつまでも大人になり切れない不良少年でした。
太宰治が好きで読んでいると、他人から「太宰治はクズで、世間知らずで……」と口上が続き、まるで読む価値がないように罵られることがあります。でもそうやって罵ってくる人よりも、太宰治の言葉の方が真理だと思います。

すみません、私情を挟みます。今、諸事情あって12連勤しています。その前は20連勤をしていました。今月の休日(大学も労働もない日)は3日しかありません。
こんな状況になったのは、自分のスケジュール管理の甘さもありますが、何よりも大学生を頼りにしている大人が多すぎることにあると思っています。文句を言いたくても、いろんな人から「今が耐え時だよね」と言われています。誰も休んでいいよ、とは言ってくれません。
アルバイトの制服を着てバイト先まで出勤するとその道中で恋人と歩いている大学生を見かけます。バイトを休もうにも代わりの人は「論文や研究のために休めないから頑張ってくれ」といいます。私も大学生で、本当ならば友人と遊びに行ったり、恋人と出かけたり、必死で勉強したりしたいのに。
つい先日アルバイト先の人(別の大学の人)から「貴方の働き方はフリーターみたい」と言われてしまいました。
すみません、愚痴ばっかりですね。

こういう辛い時に太宰先生の作品の言葉が刺さるんです。

いまは自分には、幸福も不幸もありません。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。

青空文庫/太宰治 人間失格

けれども、私は生きて行かなければならないのだ。子供かも知れないけれども、しかし、甘えてばかりもおられなくなった。

青空文庫/太宰治 斜陽

人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ

青空文庫/太宰治 ヴィヨンの妻

おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。

青空文庫/太宰治 女生徒

時には加害者ぶって、時には被害者ぶって、傲慢になったり、卑屈になってしまう。そんな揺れる気持ちをピタリと表す言葉ばかり。どんなに辛くとも、きっと辛い気持ちは、辛い出来事はいつか過ぎていくはずだから、そう思って毎日働いているんです。
苦しくても、生きていさえすればいいんだと、そういう気持ちで生きている。

私には太宰先生を罵る人の言葉を聴きたいとは思えないんです。
苦しさにはいろいろある。同じ苦しみを抱えている人なんていない。自分の抱える苦しさと他人の苦しさを正確に比較できる人間なんていない。だから太宰先生の抱えていた苦しみを軽んじる人の言葉を聴きたいとは思えないんです。
苦しんで苦しみ抜いた人にだけ作れる作品がある。紡げる言葉がある。
妄信と言われればそうかもしれません。働きづめで余裕がなくなると、本当に信じられる人の言葉以外届かなくなりがちなんだと思います。
だからお休みをください……

さて、冗談はここまでにして。作家がクズだからと作品まで読むのを辞めてしまうのは勿体ないと思うんです。
少し前の記事で書かせていただきましたが、今と昔では倫理観が大分変っています。昔の倫理観で描かれたものを現代の価値観に当てはめて読むだけでなく、こういう時代もあったんだと認める読み方をしても良いのではないでしょうか。
どうか読まず嫌いはせずに、一度は読んでいただきたいです。

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