今年の3月の上旬に、文学フリマ広島に合わせて広島観光をしてきました。
その記録を、私にとっては思い出深い、8月20日に合わせて投稿しようと思っていました。
かつての仲間に向けて、広島に行って感じたことを記録しておきます。
広島観光
広島へは高校生のときから行きたいと思っていました。
詳しい理由は後述しますが、一番は「日本人として」訪れておきたいという気持ちがあったからです。
広島原爆ドーム
文学フリマの帰りに訪れました。翌日にも来る予定だったのですが、場所を覚えておくために行きました。
私は極度の方向音痴なので、公共交通機関の乗り間違いが何度かあり、夕方になってしまいました。
夕方のもの悲しさと原爆ドームの雰囲気が相まって、静かな空気が流れていました。
多くの海外からいらっしゃった方と観光ガイドさんがいました。
彼らの表情が神妙な面持ちで、真剣にドームを見上げていました。
静かな川の流れを見ていると引き込まれそうになります。
平和記念公園
平和祈念の灯火からまっすぐ先に原爆ドームが見えます。
平和記念公園には至る所に水が使われたオブジェが存在しています。この写真を撮った位置から、ちょうど後ろには大きな噴水がありました。
写真を撮るには、かなり後ろに下がらなければいけません。
周りの建物と負けないほど高く水しぶきが上がっていました。
このように水のオブジェが多いのは、被災され亡くなった方への弔いもあるようです。
亡くなった方々は大きな火傷や熱傷を負いました。放射能によって爛れた喉に水が流れると痛みが走ったそうです。
けれど水に身を浸すと体の痛みが軽くなったような気がして、水を追い求める方がいたのだとか。
これも後述しますが、平和祈念資料館には「水を求めて井戸に向かい、その前で力尽きてしまったり、井戸についてもそこで力尽きてしまった人々の様子を描いた絵画」がありました。
流れている水の音が至る所で聞こえてくるのも、弔いの意味があるようです。
ここで多くの海外の方が同じように手を合わせていました。
戦争を忌避したい、平和を望む気持ちはどこでもだれでも望むことですね。
日本には「郷に入っては郷に従え」という諺がありますが、一番大切なのは「気持ち」です。
ここに訪れ、平和を願ってくださる方々が多くいること、とてもうれしいと思いました。
加えて、日本の弔う方法に合わせて、ここで手を合わせてくださった海外の方々に重ね重ねお礼を申し上げます。
平和祈念資料館
中の写真は載せられませんのでパンフレットだけ。
2時間ほどかけて回りました。一緒に入った方々も、各展示の前で涙を流したり、真剣に展示物を読んだり。立ち止まって同行者と静かに議論していたり。
訪れた全ての方が「戦争とは何か」に向き合うことが出来る場所だと思います。
原爆の子の像
鐘を鳴らしてきました。
鐘を鳴らすと、その場にいた方も一緒に手を合わせてくださいました。
この像のモデルになった方は、佐々木禎子さんです。彼女は被爆したことで、白血病を発症。その後、クラスメートたちの思いも空しく、亡くなってしまったそうです。
彼女の友人たちを筆頭に、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まりました。全国から募金を募り、生まれたのがこの像だそうです。
「落とされただけでは終わらない」
その後も心を蝕み続けた病気や恐怖と、それに戦い続けた人々の勇気を感じました。
折り鶴
昨今話題になっている、折り鶴について、少しだけ。
多くの折り鶴が寄付されたことで、増えすぎた折り鶴を供養して処理していた時期がありました。
しかし多くの人々の願いが込められたものを、捨てていいのだろうか、という議論があり、生み出された考えが、折り鶴を再生紙として使った商品の販売でした。
これにも勿論「人の願いを売るなんて!」「平和を金稼ぎの道具にするなんて」という反論が起こったようです。
私も、このニュースを知ってから平和記念公園を訪れました。
私は折り鶴を使った商品の販売に賛成します。
私は願いの根源が供養されているとはいえ、ゴミとして処理されてしまうのは悲しいです。
商品化という行動は、折り鶴に別の価値を付与した、と考えられると思っています。
また、現実的に考えて平和のためにはお金が必要です。
第二次世界大戦は、日本人の貧困が余計に闘争本能を刺激しました。
「欲しがりません。勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
勝てば賠償金の請求で裕福になれる、これは多くの人の心に染みついていたでしょう。
貧困は争いを生みます。争いは大きくなり、また同じ被害を生み出すでしょう。
「金で解決するなんて!」は理想論です。この世界は資本主義国家が大半で、金は天下を回っています。この世界はお金が回らなければ生きていけないんです。
汚いのは金を使って誰かを踏み躙る行為をする人です。金は、商売は汚いものではない。ただの道具に過ぎないんです。
折り鶴再生紙を売ったお金は、経済を回します。経済が回れば、手が届かなかった場所に助けがいくようになる。
折り鶴再生紙を買った人は、その商品を使うたびに平和に思いを馳せるかもしれない。
私はそんな世界になってくれたら、と思います。
8月20日
2019年8月20日、私は高崎女子高校演劇部として、とあるイベントに参加させていただきました。
それが夏の会 全国公演「夏の雲は忘れない」の高崎市公演でした。
大女優と呼ばれる方々と同じ舞台に立つ朗読会でした。
被災者の方が残した手記を基に作られた朗読脚本は今でも大切な宝物です。
チラシに乗った女優さんの名前を見て、祖母が喜んでいたのも懐かしい思い出です。
その女優さんたちの演技を見て、聞いて、舞台裏で泣いていたことも。
真っ直ぐに届く声が耳から離れずに聞こえてきて、情景を思い浮かべるたびに泣いていました。
舞台に立つときは必死に涙をぬぐって、でる直前まで一緒に出た仲間たちと手を握っていました。
「事実を伝える。それをどう感じるかはお客さんにゆだねる」
そう、女優さんが言っていました。その言葉に違わない、聞こえる声に畏敬の念さえ抱きました。
この経験があってから、一度は絶対に広島・長崎に行かなければならないと考えていたのです。
広島へ行く前、気になって見つけたブログがありました。
公演関係者の方のブログのようです。3年前ですので返信遅くなってしまってごめんなさい。
こちらこそ、本当にありがとうございました! ずっとわすれません。
「夏の雲は忘れない」全国公演日記:8月20日 群馬 高崎市文化会館 – livedoor Blog
総括 無知は罪
今回、広島に行って一番に認識したことは「無知は罪」であるということ。
19年に参加した朗読会では、舞台に立つ女優さんの後ろに平和祈念資料館に展示されている絵画が流れていました。
高校生の私には、それが惨く、気分が悪くなってしまうこともありました。
今回広島に行って同じ絵を見てきました。解説文を読んで、知って、理解して、あの時感じた気持ちはこの絵画に対して「失礼だった」と反省しました。
知らなければ、失礼なことを言ったり感じたりして、人を傷つけてしまう。
知ることは、知らない誰かを守るために必要なことでした。
広島に行くことが出来て、とても勉強になりました。幸せな体験でした。
願わくば、またお金がたまったら広島に行きたいです。
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