鹿島神宮へ参拝に行きました(12/3)

日々雑記

12月3日、機会があって鹿島神宮へ参拝にいきました。
水戸駅から往復で3180円。
電車で一時間半の旅です。

学生ながらに「東京へ行くのと変わらないなぁ」などと思ってしまいました笑
美味しいお酒やお団子を食べたり、自然豊かな参道を歩いたり。
少しばかり、高校日本史を思い返しながら、とても楽しい旅行でした。

今回は振り返りもかねて、記録を記事に掲載いたします。

鹿島神宮

鹿島神宮は武甕槌大神(たけみかづちおおかみ)を御祭神とする、神武天皇の時代からあるとされる由緒のある神社です。
日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社であり、香取神宮(千葉県)・息栖神社(茨城県)とともに、東国三社の一社にも数えられます。

御由緒・御祭神 | 鹿島神宮
鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されました。 鹿島神宮御創建の歴史は初代

武甕槌大神(たけみかづちおおかみ)

武甕槌大神とは「日本建国」そして「武道」の神様です。
建御雷神とも書き、雷を司る神様でもあります。

日本神話では伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生けしょうしたとされています。

また出雲の国譲り神話にも登場します。
高天原(たかまがはら)から天鳥船神(あめのとりふねのかみ)または経津主神(ふつぬしのかみ)とともに派遣され、大国主神に国譲りを交渉し成し遂げた神様です。
鹿島神宮だけでなく春日大社にてもまつられています。

神武東征においても、天皇の危難を救いました。
詳しい物語は鹿島神宮のHPにも記載されていますので、ぜひ見てみてください!

武甕槌大神と韴霊剣 | 鹿島神宮
鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神の佩刀は韴霊剣と古来より伝わります。 日本神話を記した『古事記』の神武東征の段には、その力で悪疫を退散させ、平和をもたらす特別な剣として描かれています。 昨今の新型コロナ感染症の拡大により

鹿島神宮と徳川家

現在の社殿は徳川二代将軍の秀忠により、また奥宮は徳川家康、楼門は水戸初代藩主徳川頼房により奉納されたもので、いずれも重要文化財に指定されています。

御由緒・御祭神/鹿島神宮 より引用

徳川家康

徳川家康は最も知られた日本偉人の一人でもあります。
家康は1603年に征夷大将軍に就任後、江戸幕府を開設し、大御所としての政治を行いました。
彼の行った政治は「大御所政治」とも呼ばれ、その後260年に渡る泰平の世を日本にもたらしました。

家臣には酒井忠次・本田忠勝・榊原康政・井伊直政の徳川御三家。
家康は日光東照宮の東照大権現でもあります。
62歳という、当時では「高齢」とされる年齢で将軍に就任しました。
享年75歳であり、歴代徳川幕府将軍の中では二番目に長く生きていた人物です。
(一番長いのは15代将軍 徳川慶喜 享年77歳)

徳川秀忠

27歳の時に第二代徳川幕府将軍に就任したのが徳川秀忠ひでただです。
有名な「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」の時代に将軍を務めていました。
その後200年の法律である「武家諸法度ぶけしょはっと元和令げんなれい)」「禁中並公家諸法度きんちゅうならびにくげしょはっと」を制定しました。

教科書上では影を潜めがちな秀忠。
将軍就任中の前半は家康が「大御所政治」を行っていたためでした。
ですが、彼の功績は後の徳川幕府の長い安定を築いています。

徳川頼房

水戸初代藩主の徳川頼房よりふさは徳川家康の11男でした。
寛永頃に、尾張おわり徳川家(尾張家)、紀伊きい徳川家(紀伊家)とともに三家の家格が確立しました。
居城は水戸城で、二代目の光圀みつくにが藩政の安定と強化に努めています。

徳川家光により「参勤交代さんきんこうたい制」が確立した後も、水戸は例外的に藩主が江戸に常駐する定めとなっていました。これを定府政といいます。

御参拝

大鳥居

境内入口に建つ大きなニノ鳥居の「大鳥居」。高さ約10.3mの杉材の鳥居で、少し遠くからでも見えました。
素朴ながら厳かな佇まいには御参拝する人々の活気があり。

12月3日は鹿島サッカースタジアムにて試合があったこともあり、試合前に勝利の御祈願参拝をする方々の姿もありました。
というのも、ここ鹿島神宮は勝負ごとにご利益のある御祭神です。
徳川家の他には源頼朝などの将軍・大名の尊崇も集めていました。

昭和43年(1968年)に竣工された石の鳥居が建っており、国産の花崗岩の鳥居としては日本一ほこっていました。
ところが平成23年(2011年)3月の東日本大震災で崩壊してしまいます。
現在の鳥居は、境内の杉4本を使って平成26年に竣工されたもので、震災復興のシンボルとなっています。

さざれ石

写真中央にて紙垂しでの巻かれた岩が「さざれ石」です。
さざれ石は学名では「石灰室角礫岩」といい、長い年月を経て多くの小石が集結し、大きく生長した長したものだそうです。

日本の国歌として親しい「君が代」において「さざれ石」が登場します。
「君が代」の出典は、醍醐天皇の勅命により905年に奏上された「古今和歌集」の中の祝賀歌です。

「我が君は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで」

小さな小さなさざれ石が岩のように大きくなり、苔のつくような長い年月の安寧と繁栄を願った菓子です。
祝いの歌として1000年もの間、歌われてきました。
1999年(平成11年)、小渕恵三内閣の際に「国旗・国家法」において、正式に日本の国家として法制化されました。

わずか32文字の国歌は世界で最も短いとされています。
また世界最古の国歌としてギネスブックにも登録されています。

さざれ石の隣には「鹿園」もあり、立派な角の生えた鹿を見ることもできました。

御手洗池

1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった池でした。
昔は参拝する前にここで禊をしたそうで、現在でも、年始に200人もの人々が大寒禊を行っているそうです。

大寒禊とは、暦の上でもっとも寒い日とされる大寒の日からの3日間行われる行事です。 
冷水につかり心身を清め、無病息災を祈ります。
この『大寒禊』で祈願すると、その年は風邪をひかないといわれています。

この御手洗池をながめながら、みたらしだんごをいただきました。

みたらしだんごに集中していて、池を取るのを忘れてました。
「池より団子」は洒落になりませんね……

鹿島神宮の参道にあるクラフトビール

閑話休題としまして、鹿島神宮の参道にありましたクラフトビールのお店を紹介します。

パラダイスビアファクトリーというお店で、数種類のクラフトビールを取り扱っている素敵なお店でした。
ダークエールやホワイトエール、日本酒の素材で作られたサケエールなど珍しいものが沢山。
店内でも飲酒可能ですので、御参拝の帰りに是非!!!

わたしはダークエールをいただきました。
しっかりしたビールの味と気持ちの良い酸味が喉を通り抜けていきました。

昼間からビールが飲めるって素晴らしいですね。
店内の二階席からは鹿島神宮の大鳥居が見られます。
綺麗な景色と共に飲むビールは日常の疲れも吹き飛びそうです。

感想

美味しい食べ物も綺麗な景色もあり、本当に楽しい一日でした!
境内は東京ドーム15個分ということもあり、一日つかってようやく回り切れるくらい。
(東京ドームには行ったことないので、広いことしかわかりませんが、この表現を使わせていただきます)

美味しい食べ物に目が眩んで、写真を取り忘れたのは大反省。
次回行くときはちゃんと写真を撮ってきます(`・ω・´)ゞ

参拝の際に購入したミニ達磨と鹿御籤は部屋に飾りました!
お御籤の結果は大吉でしたが、恋愛のところにだけ「一線を越えるな」と書いてありましたので注意します笑

本当に楽しい御参拝でした。
今度は後輩もつれていけたらいいなぁ、なんて来年のことを考えてます。鬼に笑われちゃいますね。

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