5月11日日曜日、今日は茨大演劇研究会の春公演「天才の国」を観劇してきました。
春公演、私達は経験してないんですよね……コロナで潰れたり、忙しくて変則スケジュールで活動していたり。なので後輩達が春公演やると聞いた時は、本当に嬉しくなりました。
みんな成長していた部分があり、今後がとても楽しみになりました。お節介な先輩としてたくさん感想を残しますが、どうか今後もたゆまず演劇を研究してくれることを願います。
「天才の国」あらすじ


ここは病院。わたしたちは、みんな病気。
病人としてとある施設に送られた子供のセン。彼女はそこで、四六時中物語をつくってしまうフウくんや、不思議な絵を描いてしまうシキちゃんなど、さまざまな病人と出会っていく。わたしたちは病気。これは治さなくてはいけない症状。だけど、どうしてダメなのだろう。こんなに素敵で、ワクワクするのに……。
茨城大学演劇研究会
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感想
まずは全体の感想から。みんな演技が上手くなったな、と思いながら見ていました。先輩として在籍していた期間や卒業した後も観劇しに行った期間の積み重ねがあって、そのように感じたのだと思います。
その上で思うこととしては、もっと脚本と向き合って欲しかったな、ということでした。余りに脚本通りを意識しすぎています。全体的に、これでいいかなという感じが伝わってきて、もう少しキャラクターやセリフ、設定について深堀して欲しかったと思います。
舞台
舞台は前後で部屋分け、一段段差をつけることで場面区別をする方法でした。場面ごとに違う必ず部屋を使う、ということに意識されていましたね。
ただし「分ける」ことに重点を置きすぎて、舞台の使い方が小さくなってしまった印象でした。
小道具や大道具の数や大きさもかなりシンプルで最低限。その上で配置が近かったかと思います。例えばフウが椅子についての物語を語る場面。椅子を正面に持ってくるのは良い動きでしたが、勇気を持ってもう一段下に降りてしまって良かったと思います。上の段のままでやっていたので、歩き方、椅子の避け方から舞台が狭いんだなと印象づかせてしまいました。
もう一段下に下ろす場合は正面を椅子にのみ当てるスポットライトにすると、フウが物語を作ることに没入してしまっている印象の舞台が作れたんじゃないでしょうか。
舞台だけで場面を印象づかせようとする努力が伝わってきましたが、音響や照明と合わせて場面変化を表せるともっと演劇の幅が広がると思います。
加えて病院や施設、ということであれば基本は壁やカーテンは白基調になります。学校の機能も兼ねていたのでしょうが、舞台裏に繋がる場所の暗幕は白い方が良かったのではないかというのが私個人の意見です。
小道具
小道具の点で疑惑があったのは本棚です。「廃屋」と登場人物たちが話しているのに、本棚のデザインは現代的。デザイン性重視なインテリアとしての本棚でした。
廃屋、というのですから見ている側は退廃的なものを思い浮かべるはずです。また病院や施設の近くにある「廃屋」ですから、デザインより機能性を重視した本棚が選ばれるはずです。
並べられている本も不思議なものでした。ちらっと見えたものですが気象予報についてや漫画などが置いてあった気がします。「天才」についての決定的な音声資料が出てくる場所ならば、天才について研究されていた場所のはずです。そんな場所に天才についての研究に関係ないものや娯楽本があるでしょうか。
例えば臨床心理についての本や脳、神経についての医療本などを置くのが良かったんじゃないかと思います。その上で難解そうな数学書や絵画についての美術書を置くと、廃屋にいた方が「天才について研究していた」「天才に歩み寄ろうとしていた」意思が見えるはずです。
細かいところだから誰もそんなところ見ていない、と思うかもしれません。けれども美は細部に宿ります。細かい部分まで設定を突きつめていくと、さらに演劇に深みが出るんです。その深みが演劇を見る上での面白さになります。
観客が100人いたとして、100人が気づく必要は無いんです。たった10人、たった一人でも気づく細さがあれば、それはその演劇の特徴になり得ます。そこまでこだわろうという執着があれば演劇は面白くなります。
また役者の小道具の使い方をもっと訓練できるといいかと思っています。シキちゃんが自分の描いた鳥の絵を見せるシーン。絵の見せ方が控えめ&時間が短いのであまり印象的ではありませんでした。彼女は絵が上手な設定です。絵を見せる、それに対し周りがしっかり驚き賞賛する、時間をしっかり取って欲しいです。
一方でメカが電池を持ってくるシーン、手間取っていてシーンとして間伸びしています。数学書を読むノアちゃんも、数学書を読むという動作が短いので彼女が数学ができる、というキャラクターを活かせず全体を通して影の薄いキャラになってしまったと思います。
メカの性格であれば先生に隠してドライバーなどを隠し持っていることはありそうです。
小道具の使い方が良くなれば、各々をキャラクター付けさせる道具を身につけられるようになります。動きにもバリエーションが出ます。全員が棒立ちしているだけのシーンも減るはずです。
衣装
まず病院という設定をちゃんと統一しましょう。恐らく制服ということで白のシャツに黒のパンツで合わせたのでしょうが、そこにカーディガンをつけると統一性がありません。
この病院は「独創性を無くす」場所です。そこに色つきカーディガンや大きなヘアアクセで個性をつけることはないのでは無いでしょうか。
今回、カーディガンやパーカーを羽織っていた役者のお二人は本当に力のある役者です。ノアさん役の方は夏公演「しんじゃうおへや」でも十分輝く演技をしていましたし、彼女は役作りに関してよくわかっていると思います。またシキちゃん役も同様に、冬公演「ヌガーグラッセ」で主役をやりきる力があります。下手に衣装でキャラ作り・記号化をするよりも、役作りをする時間、演技に身を入れる時間を作った方がいいと思います。
照明
暗転が多かった印象です。暗転は場面を区切るのに最適ですが、同時に観客の集中力がキレやすい方法でもあります。
暗転に意味を持たせる表現方法を得られるといいですね。暗転中に音響を鳴らす、声を上げるなどをすると暗転に意味が生まれます。ただ場面転換や道具を動かすだけの暗転は意味がなく、むしろ「この道具を動かすために暗転したんだな」と勘ぐってしまいます。
病院ならば、白く、明るい場所ではないでしょうか。日常会話のシーンではもっと照明が明るくてよかったかなと思っています。
最後のフォークで先生を刺し殺そうとする場面も間伸びしていた印象です。振り上げた後が長く、暗転するのはいつかなと思いました。振り上げてフェードアウトで暗転するよりも、振り下ろすと同時にカットアウトした方が綺麗だったと思います。私の好みかもしれませんが。
音響
音楽というのはあまりにイメージ付けするには強いものです。
例えば、どんなに良い演劇でも最後にジブリ曲を流せばハウルの城が空を飛びますし、ポニョが泳いでしまうんです。ファンタジーで楽しい曲だから、とディズニー曲を流せばミッキーが踊り始めてしまうでしょう。
最後のシーンのクラシック曲はサスペンスとしての印象がかなり強いです。しかしこの脚本はSF、ファンタジーな部分もあるので、完全にサスペンスを印象づける音楽は違和感がありました。
役者
全体的に、泣く、笑う演技が短絡的すぎると思います。泣く演技で全員が全員顔を伏せてしまう。笑う演技で皆「あはは」と同じように笑います。
確かに目に手を当てれば泣いているようには見えます。そこに声を上げれば泣いているという記号にはなるでしょう。しかし泣く、にも色々あるはずです。悔し泣き、涙を堪えようとする泣き方、嬉し泣き、涙が流れていなくても泣いていると感じることもある。
泣くという演技だけで多くの泣き方があります。その全てを一様に、目に手を当てるだけで表現するのは無理があります。口を噛むことで悔しさを表現できます。涙が出てなくても大声を上げれば泣いていると表現できます。
笑い声にも「HAHAHA」「うふふ」「ヒッヒッヒ」と色んな声の出し方があります。
どの感情にどの演技が合うか、どの声の出し方が合うか、ぜひ研究してください。どうか演技を記号にはしないでください。
母親
最初のシーン、母親の愛情深いシーンでしたね。泣いている演技はお上手だったと思います。
ただ母親の愛情が強く表現されていたので、その後の演技に「誰がセンを施設に送ったのか」という疑問がありました。演劇を見ている上では公機関が送った、が正しいのでしょうが、それにしては人を殺した事実が薄れています。
母親という役は、母だけではなく妻としての2面性も持っていると思うのです。このシーン、子どもが人を殺した「加害者」としての立場と夫を殺された「被害者」としての立場のせめぎあいが見られたら美しかったと思います。
言葉では愛してるといいながら伸ばされた手を弾き身体で子どもを拒絶する母親もいます。抱きしめながらお前が憎いと言うことの出来る母親もいます。全く愛情を示せなくなる母親もいるんです。
身体と心が同じ方向に向かないこともあるんです。
台詞では「愛してる」とあっても、どのように言っていたか、本当に愛だったのか、愛憎では無かったか、役者さんと演出さんの意見が見えたら素敵でした。このシーンは母親が子どもを「矯正しなければならない」という切迫感が欲しかったと個人的に思います。
セン
センは恐らくソシオパスと呼ばれるものだと思います。先天性疾患ではなく、後天的。父親の性加害によって我慢していた嫌悪や羞恥が溜まりに溜まって爆発し、殺意となって現れてしまう感じではないでしょうか。
しかし演出上はサイコパスとしての演技が強かったですね。どちらも人の感情が分からないものですが、症状や衝動性には違いがあるものです。
サイコパス、ソシオパス、どちらも合理性や効率を考えて動き、興味を持つものに対する執着の強い一方で興味のないことにはトコトン冷たい反応をする……というのがわかりやすい一面だと思います。
ソシオパスはサイコパスと比べて衝動性がコントロール出来ないと言われています。衝動的におこり来る殺意、興味関心、をコントロール出来ないのです。サイコパスは年齢経験が重なるにつれて社会性を獲得していき、症状を和らげたように見せかけることが出来ます。しかし本質的に人間の感情に共感したり、無意味な同調ができません。

センは後半で子どもたちと電車ごっこをしていましたし、天才と病気に疑問を抱きつつも先生には従っています。我慢をしなければならない場面では衝動的に先生を殺そうともしてしまいます。
彼女は感情がわからないキャラではなく、感情を抑え込むあまりわからなくなってしまったキャラとして演じる必要があると思います。
前半「死ぬって何」「愛してるって何」と言う台詞では、その言葉の辞書的な意味を問うよりも、母親の真偽を問う方が後半の表情豊かになっていくセンと合致していたのではないでしょうか。
台詞の言い回しとしては「愛してるって何?」「(私はこの人から危害を受けていたのに、あなたは助けてくれなかったのに、それでも)愛してるって何?」という言い方にするとか。するとその後の「大好きってことよ」の返しにも、目の前の人間(母親)の言う愛してるや大好きは表面的なものでしかないことが分かります。
脚本では現れない、セリフでもない場所でキャラクターが何をしたかったか、何を言いたかったか考えて演技をしてみてください。
フウ
茨苑祭、冬公演を経験して台詞の言い回しが自然になりましたね。セリフを読んでいる感じがなくなり、登場人物が話していると感じる演技になっています。
勿体なかったなと思うのは、思っていた以上にフウの動きが小さかったこと。演出の意向かもしれませんが、彼はもっと活発に、戯曲を演じる役者のように大袈裟に動いても面白かったと思います。
フウは恐らく、空想に熱中するあまり周りが見られなくなる人です。彼の能力は頭の中でずっと物語を描き続けてしまうこと。ならば実際の作家さんを元にキャラ作りをしても良いと思います。作品を作る人は皆、どこか過剰になりすぎてしまう嫌いがあるんじゃないでしょうか。
その過剰さが残念ながら薄かったように感じます。まして最初の登場シーンで、ありえない医者とセンのラブシーンを想像し、大々的に登場した彼ならば、もっと大きく動いていい。舞台の端から端まで歩くくらいでいい。治療中といえども、どこか心中で「何故病気がいけないのか」と葛藤していた彼ですから。
宝塚歌劇団や吉本新喜劇を見たことがあるでしょうか。どちらも演劇の路線は違うものですが、演技の本質は変わらないんです。少し大袈裟に動くことで男らしさを表現したり、体を縮こめることで女性らしさを表現する。必要ならば、現実的にありえないズッコケ方をする。演技には「現実的に有り得るが舞台の上ではわかりにくい演技」と「漫画的・空想的でわかりやすい演技」があるんです。
前半を大きく動けるようになると、後半の治療終了後、口が縫われてしまった彼がより哀れに、可哀想に、切なく見えるんです。それまでミュージカルのように大きく動いていた彼が、突然パタリと動かなくなったら物語としても、治療の異常さに気づくことが出来ますよね。
ノア
恐らく脚本の影響なのでしょうが、大分影の薄いキャラになってしまいました。夏公演でキャラ作りが上手で、身体と台詞が合致した良い役者さんだと思ったので少し悔しい思いです。
少しばかりお姉さん的な立ち位置だったのでしょうか。精神年齢がお姉さん的なキャラなのだと思ってみていました。
数学が得意、ということを日常会話で使うのは難しいですよね。なのでアドリブに対しての感想になってしまいます。ごめんなさい。
例えば廃屋で見つけた数学書を読むシーン。もう少し長く数学書を読んでもいいかもしれません。その辺から適当にノートを持ってきて数学書の数式を書き写そうとするとか。しっかりやるなら福山雅治のガリレオのように、いきなり床や壁に数式を書き始めるぐらいの奇行をしてもいいかもしれません。
ジャンケンが強い、というくだりも数学の確率論を脳内で組み立てているからジャンケンに強いということなのでしょうね。それならばシキとメカから「ジャンケン強いんだもん」と言われた際に「グーとチョキとパーしかないでしょ?」と返すのに続けてセリフを言うとコイツやばいな感が出るかもしれません。
「グーとパーとチョキしかないでしょ? で、最初はグーかチョキが確率的に出やすくて、だから最初はグーを出して、シキはグーチョキパーの順番で出すしメカはグーパーチョキの順で出すから次はチョキを出した方が良くてその後はまたチョキを出してこの後は……」
これを早口で語られたら数学得意なんだなーと私は思います……すみません、解釈違いだったら申し訳ない。ただ脚本に書いてなくても、キャラが言いそうだと思ったら言っていいんですよ、と思います。
脚本通りの動きは満点、花丸なレベルで動けていますから、ぜひ脚本に書かれていない、キャラクターのやりそうな動きや言いそうな台詞を考えてみるといいかもしれません。
シキちゃん
前回冬公演では闇のあるキャラクターでしたが、今回は子どもっぽい素直なキャラでした。演技の幅が広がっていて、見ていてとても面白いです。今後ますます演技が上手くなっていくだろうなと感じています。
ただ少し、精神年齢がブレがちだったなと思いました。絵を見せて小学生ぐらいのように子供らしく見えれば、セリフのないところで急に大人のような落ち着いた雰囲気が出てしまう。役をやる前に、精神年齢、見た目年齢を決めておくと良いと思います。
ぜひスケッチブックをしっかり見せて欲しかったです。見せる前に近くに看護師が居ないか確認したり、見せることを渋る動作を入れると演技に説得力が増します。
彼女はこの動きをすると観客からはこう見えている、という客観的な視野があると思います。あとはキャラクターの動作に動機づけをしてみると自然な動きになっていくんじゃないでしょうか。看護師に怒られるから、絵を友達に見せる時は近くに看護師が居ないか確認するんですよね。スイッチを押してもラジカセが動いてくれないから段々とスイッチを押す力が強くなっていくんです。絵を描くのを辞めたくないから右手を切断する手術が受けたくなくて、けれども退院はしたいから手術を受けるか迷っている、その葛藤が右手を見つめるという動作になるんです。
勿論理由なく身体が動いてしまうこともありますが、何故このキャラクターはこの動きをするのか、後付けでも考えられるともっともっと素敵な役者さんになります。
メカ
メカ、という名前に合うとてもわかりやすい演技をする役者でした。喋り方や動き方をかなり勉強したんじゃないでしょうか。時々イントネーションがズレるのも、彼の個性になっていてとても良かったです。
だからこそ、ラジカセを動かすための電池を作るシーンが見えにくかったのが悔しかったです。照明の当たり具合で電池(ビーカー)に体の影が映ってしまって、ほとんど見えない。また、ラジカセと同じ並びでやっていたので、客席によってはラジカセに電池が被って見えていないところもあったかもしれません。
また電池を作っているシーンは少し間伸びしてしまいましたね。台詞で、
「このコードをこの銅板と亜鉛板に繋いで、ここに入れると、あとはこのコードを……」
説明的でも、行動を示す台詞を入れると間伸びを防ぐことが出来ますよ。完全に私の好みになってしまいますが……
看護師
すんごい上手くなっててビックリしました。優しいセリフの言い回しと圧をかけた怖い言い回しの使い分けが上手い。怖くて泣きそうでした。
やっぱり3年生だな、と思うほど細かい動作にまで気を配っているのがよく分かります。「病気の悪化」に気がつくまでの目線の運び、腕や肩を掴む手の強引な動き方、看護師として自然に目線を合わせるために屈んでしまう特徴。
セリフが無くても、観察メモを残したり、子どもたちの様子をよく見たりしていました。脚本に書かれていない動きを考える、という部分が本当に上手です。見ていて気持ちがいいですね。
先生
先生は性加害者なんですかね? それとも本当に治療としてただ触診していたのでしょうか?
性加害者として見るには少しセンへの触り方に躊躇いを感じました。一方で呼吸が荒くなっているので性加害者として見せたいのかなとも思いつつ。
私の提案になってしまいますが、先生と父親を重ねる意味合いで触診の際に白衣を脱いでしまう、という表現方法もあります。または、先生に声で出させていた呼吸の荒さを、敢えて音響で流すことで、先生はただ触診しているだけで、センの目線では父親を思い出しているようにも見えます。更にはこういう場面こそ暗転を使って荒い呼吸を響かせれば、観客は暗闇の向こうで起こっていることを想像してしまいます。
演技は全てを見せるだけが表現ではないんです。一部、視覚を隠したり、聴覚を遮ったりすることで逆に感覚が研ぎ澄まされて、想像が膨らむこともあります。
先生役をやった彼は充分に演技が上手い役者ですから、あとは演出で遊んでみて、見え方を研究して見てほしいです。
最後に
だいぶ色々書いてしまいました。3年生は本当に演技が上手になっていました。ぜひ今後も後輩を引っ張っていってください。
2年生の皆さんも滑舌が良くなっていたり、演技に試行錯誤をしているんだなと感じます。脚本と向き合うこと、音響や照明・舞台を作ること、演技力を高めること、学業やアルバイト、やることが沢山ありますよね。それも総合芸術としての楽しみだと思って、全力で遊ぶ、試す、学ぶってして見てほしいです。
最後に、演劇研究会に入ってくださった後輩の方々、今日観劇してくださった全ての方に感謝申し上げます。
素敵な舞台をありがとうございました。
ぜひこれからも「演技」「演劇」の研究をし続けてください。今後のご活躍をお祈り申し上げます。
PS.書き忘れたので。山崎賢人主演の「グッドドクター」や米倉涼子の「エンジェルフライト」など参考になるんじゃないかと思います。泣く演技なら芦田愛菜ちゃんの演技を見るのも勉強になります。



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