博物館学芸員になるぞ! 春休み編 in 県立歴史館

活動記録

今回は茨城県立歴史館の特別展「那珂湊反射炉 鉄と近代をつくる」を見に行った記録です!

何とも不思議なご縁がありまして、特別展の終了日前日にこの特別展のチケットをいただきました。
初めて県立歴史館を訪れたのですが、午後から予定があったため、特別展のみを観覧してきました。
常設展は今度、見に行きたいと思います!

ということで今回は特別展のみの感想と学んだことをまとめています。

茨城県立歴史館

水戸市緑町にある歴史博物館。頻繁に企画展を行っています。
茨城の偉人、名所など歴史と一口に言っても幅広い分野を取り扱っている場所です。

個人的にですが、大学の講義でお世話になりました。
過去の企画展資料も、ミュージアムショップで少量販売されています。
那珂湊反射炉の企画展は終了してしまいましたが、4月27日から「茨城の偉人」という企画展が行われるようです。

気になる方はぜひ!

【次回展示】企画展(アーカイブズ展)「歴史を紡いだ茨城の先人」情報公開のお知らせ | 【茨城県立歴史館】歴史博物館・文書館|茨城県水戸市
茨城県水戸市にある【茨城県立歴史館】です。【茨城県立歴史館】は歴史博物館、文書館の機能を有し、美術工芸品や古文書、マイクロフィルムが多数収蔵されています。敷地内には江戸時代の農家建築、明治時代の洋風校舎があります。

感想・学び

企画展示室に入ってすぐ、目に付いたのは反射炉の模型。
こちらは写真撮影可能でしたので、記事にも掲載します。

この模型横には、どの部分がどんな役割を持って作られた構造なのかを説明されています。
写真ではぼやけてしまっていますが、煙突や溶解室、燃焼室などかなり精巧につくられていました!

こちらは模型を横から見た図。湯口がはっきりと見えます。
ここで溶解室の炉床を伝った銑鉄が流れるそうです。

感想

第一章では反射炉の構造についての説明がありました。
チケットを貰ったとはいえ、反射炉とは何ぞ??? と予習もせず、全くの知識ゼロで観覧してきた私。
この章で、反射炉が鉄をつくるための設備であること、それが江戸時代と近代で大きく鉄産業が前進するきっかけであったことを理解できました。
ここまで理解できると、高校日本史を習っていた私は明治維新に進む日本の産業に関わると予感しながら、その後の章を見に行くことができました。

第二章では予感通り、異国船の来航や海外勢力への対抗のために産業発展を目指す歴史が展開していきます。凡そ日本全体の動きと世界の動きが描かれていました。

第三章では水戸、那珂湊ではどんな政策がとられたのか、説明されていきます。
恥ずかしながら那珂湊へまだ行ったことがない私は、親切にも第三章の初めに那珂湊の解説があり、助かりました。
那珂湊は那珂川が太平洋にでる部分のようです。江戸時代の水戸藩を支える大切な商港でもありました。江戸時代に観光地の一つとして発展しつつあった那珂湊は異国船の登場で軍事都市へと変貌していきます。
今では簡単に海外の方と話したり、商売をしたりできますが、この当時それがどれだけの大事かとわかりますね……。
異国船の設備の充実さから「日本ヤバい、遅れてる!」と考えられる人々の先見の明はすごいです。(私だったら、すごいなぁ、で終わってしまう気がしますね)

第四章では反射炉ができた後の人々の生活の変化が描かれています。
褒章を貰った人、革命を起こそうとした人、謀反を起こしてしまった人……多くの人生に焦点が当てられていました。
時代の流れは人の人生も大きく変えてしまいますね。

教訓としては
「国が乱れている時の戦力補充、ダメ、絶対」
ということでしょうか。天狗党の乱、は教科書でも名前が出る程度だったので、グンマ―の私は殆ど知りませんでした。
簡単に概略を説明すると、反射炉の建造後、拡充された戦力を用いて「尊王攘夷派」と「幕府派」が対立してしまったようです。しかも西洋の技術で戦力の補充は、刀で戦っていた戦国時代よりも格段に上がっているため、被害も大きかった……。
この乱、国内戦争により、那珂湊反射炉の事業は失敗となってしまいました。

学び

企画展を見に行って感じたことは、「事業としての失敗=歴史の失敗」ではないということですね。
先述の通り、那珂湊反射炉は事業としては失敗といえます。目指していた国内戦力の拡充は達成しつつありましたが、それにより国内が乱れてしまった。
しかし第五章にて、反射炉の技術がどのように人から人へと伝わったのか解説されていきました。
反射炉の技術は失われてはいなかった。
その技術はその後多くの技術革新へとつながることとなる。

歴史は繋がっていった。
これは歴史の失敗ではないと考えられそうです。
そもそも歴史の失敗とは、誰にも引き継がれないこと、誰からも忘れられてしまうことなのだと、この企画展を通して感じました。
そして今日、この博物館の展示によって、また新たに他人の記憶に那珂湊反射炉の歴史は紡がれていく。
なんだか歴史博物館の存在意義を見つめるきっかけになったような気がします。

さて、ここから先は学芸員の仕事を学びつつある観点からみた企画展の感想です。

やはり一番に感心したのは、全く知識が無くても楽しめる展示、学びになる展示であったことです。
大学で博物館学を学んでいる時、人に教えることはできても、楽しませることと両立させることの難しさを実感していました。

展示した物が何を示すのか、何を顕すのか、解説することは博物館の大事な役割です。
一方で説明文が多くなるほど、読んでくれる入館者は減っていく。
文体や文章量に注意しなければならない。
一度、パネルの企画案を作成したことがありましたが、文章考えるのはかなり大変でした……。
↓ の写真は講義の課題で作成したものです

上手くできているように見えるかもですが(自画自賛)、後半の文章・挿入図はかなり継ぎ接ぎ。
これを読んだ先生から、後半かなり大変だったね?? と指摘されるほどには、後半の文章を書くのに四苦八苦でした。

今回の企画展を見に行って、全体の文章の構成が、まるで新書を読んでいるようだと思いました。
というのも、各章の冒頭に、疑問が提示されるのです。
そして第一節が冒頭の疑問の答え合わせになっています。
展示された資料は答え合わせされた事実の証拠品であったり、補足のためであったりします。
第二節では歴史の流れが描かれ、続く第三節で次の章につながるように話が展開されていきます。

高校時代に大学受験のためにたくさん読んだ論説文、沢山解いたその構造を選択する問題を思い出しました。
大抵は疑問が提示され、すぐに回答があり、補足しながら、別の章立てをしていきます。
数多くの新書、説明文で、同じ文章構造が用いられているのですから、博物館の解説文だってそれがわかりやすいに決まっていますよね。
当たり前のことのようで、この博物館に来るまで気付けなかったなぁと思いました。

せっかくなので、特別展の資料をまとめた図録も購入。
しっかりと研究して、今後の大学の講義に臨みたいと思います!

余談

歴史館のミュージアムショップ入口に設置された面白い機械。
こちらもせっかくなので、私の生年月日を入力してみました。とくに面白い記事はなかったのですが、なんだか少しうれしくなりました。

気が付いたのですが、自分の好きな偉人の没年月日入力したら一面記事が手に入るんですかね???
小林多喜二とか太宰治とか、その他諸々の文豪が好きなので、こんどやってみようかなと思います。
(小林多喜二は本当に記事になっていたらすごそうですよね……)

気になる方はぜひ、茨城県立歴史館に訪れてみてください!

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