2025年1月5日、漸く国立西洋美術館特別展示「モネ 睡蓮のとき」を見に行きました~!
正直、美術には何の知識も琴線もない私ですが、知人がこの特別展の図録が欲しいとのことでお使いを頼まれましたので見に来ました!
工事中の国立西洋美術館しか知らないので、なんか新しい建物で来てるな! という感想でした。
この日は日時指定券の販売で入館。11:00からの入館だったので、7:40のバスに乗って水戸を脱出。
睡眠時間は一時間半でした笑 電車の中で眠れたのでもう少し寝たと思います。
日時指定の30分前には着いたはずなのに、11:00入館の方はもう大量に集まっていました。
当日券を買って、入館、と計画していたら、もっと遅い時間に入館することになっていたかもしれません。
全体の所要時間としては2時間ほど。かなり流れに流されてみていたので、もっとゆっくり見るとなると、二時間以上の時間がかかると思います。
国立西洋美術館に到着!
国立西洋美術館の前には特別展示用の整列用コーンが並んでいます。
が、何作品化は整列用コーンに並ぶ前に見ておいたほうがいいでしょう。
「地獄の門」
個人的に最もワクワクしていたのがオーギュスト・ロダン「地獄の門」
ちょうどダンテの「神曲」を読み始めたところなので、すごくワクワクしちゃいますね!
ダンテの詩を基に作成されたとされる「地獄の門」。扉の上には、かの有名な「考える人」がいますね。
こちらの「考える人」は、考えている説と地獄で苦しむ人を見つめている説があるみたいです。
私は「苦しむ人を見つめている」の方が納得できるなと見ていました。
芥川龍之介の言葉に「人生は地獄よりも地獄的」とあります。この言葉の意味が最近までわかりませんでした。
「人生は人間の考える地獄の苦しみよりももっと苦しい地獄のようである」という意味みたいです。自分ではわからなかったので、説明された時に説明してくれた人の読解力の高さに驚きました。
「地獄」という単語によって人間の想像力の限界と奥深さを知りましたね……この扉を見てるとそれを思い出します。
扉を閉めた状態で作ったのは、勿論それが作りやすいからもあったのでしょうが、私はこの先の地獄を、作品を見た他人各々に考えさせる効果があるんじゃないかと深読みしたいです。
そうそう、ダンテ「神曲」は本自体が国語辞典並みに重いので持ってくることができませんでした。
その代わりに、「神曲」をもとに作られた「邪宗門」を持ってきました。
青空文庫でも読むことができるので、ぜひ言葉に触れて欲しいです。
この扉の先が地獄の始まりで、恐ろしさと危険も感じさせつつ、ダンテが心惹かれてしまう妖しさがあります……地獄で互いを蹴落としあったりしてる中、腕の中の人を愛おしむようにも見えるこの右下のレリーフが物語深すぎて大好き
カレーの市民
「カレーの市民」、ウィキペディアで物語を軽く読みました。
知らない物語(歴史)でしたが背景をわかっていると、西洋美術館の配置がいいな〜!!!と思ってしまいます。
これから処刑される6人が、太陽(大きな力)から目を逸らしながらも、その方向に向かって歩いていくように感じられるんです。
英雄的自己犠牲を表した作品らしいけど、死にたくないという人間の本能も感じてしまう。凄い。
特別展「モネ 睡蓮のとき」へ入場
モネ展、面白かった〜!
モネ展は基本的に写真撮影禁止です。写真を撮ることができる展示室はあるのですが、人が多すぎて、誰か氏らが必ず映り込んじゃうので、目に焼き付けてくることにしました。
モネはかなり早い段階から印象派からは逸脱しようとした、みたいな説明がされていましたね。
ただ絵の変遷を見ていると印象派が根底にあるのかなとも感じられました。
塗り重ねて深みを出す過程と色を削ったりあえて描かないことで広さを表現しようとしてる過程があって、何作品か毎に繰り返しているんですね。
日本美術に出会ってから「描かないことで奥行きを描く」、「陰で全体を表現する」という観点に気付いた、とキャプションに書かれていました。日本美術的な描き方と、西洋美術の描き方を組み合わせて、時期によってその組み合わせるバランスや度合いが変化しているのかなとも感じました。
最後まで、試行錯誤を繰り返していたんですね。
少しずつ何かしらを削って描かれる絵画は、最初は印象派絵画を描いていたからか「輪郭」が削られていました。段々と「水平線」や「植物の特徴」「光を色で表す描き方」を削っていきます。
かと思いきや、白内障から荒々しく書き足していったり。
白内障になった後の絵は荒々しいものが多かったです。
しかし荒々しく書こうと決めていたわけではなさそう。
「見えなくなった赤が本来はこう見えていたはず!」っていう焦りの中に、「今見えているものを正確に描こうとする冷静さ」もある気がするんです。
それまでは花や空気管に彩やかな色使いや淡い色使いを使用していましたが、白内障後は赤色がくすんでいたんです。
白内障で絵画が描けなくなる恐ろしさもあっただろうけど、自分の見え方が変化していくことによって別の描き方が模索できる面白さも感じていたんじゃないでしょうか。 それをそれまで培ってきた技術力で描けるだけ描いてみようという気概も感じました。
色使いが原色にくすみがかった色になるから、荒々しく感じるんだけど、筆遣いは前と変わらない気がしたんです。あくまで、私の感想ですが……。
余談ですが、モネの絵を見ていると室生犀星の詩を思い出します。
「故郷は遠きにありて思うもの」、私も故郷に帰ると、もう全く違う景色になっていて、自分の思い描いていた記憶とは異なってしまっているんです。
田んぼは全て太陽光発電になっていたし、なじみのお店が潰れていて、知らないお店が出来ていて、知り合いだったこの家が駐車場になっていたり、地元のスーパーが潰れていたりするんです。
何度も同じ景色を描いていると、違いがはっきりと感じられる。その違いは小さなもので、けれども小さな違いが積み重なって、気が付くと全く違う景色になっている。
あの時思い描いていた故郷はもうどこにもなくなっているんです。
モネが生涯で、一度描いた景色を、自分の技術力が上がった時にもう一度描いていたのは、もう亡くなりかけている故郷の一瞬を絵の中で永遠にするためだったのかなと感じました。
少し深読みしすぎと言われればそうかもしれません。
最後は特別展の図録と、気になった本を数冊購入してきました。
貰ったはずのお年玉が、もうすっからかんです笑 さあ、帰ってからまたアルバイト頑張るぞー!
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