最近、境界線のことばかり考えている。
わたしたちの世界には、あまりにもたくさんの線が引かれている。
家族と他人。国民と外国人。友達と知人。知っている人と、知らない人。
線を引けば、内側と外側ができる。
守られる人と、こぼれ落ちる人が生まれる。
そんなことを考えていた時、日本の野球場で働くビールの売り子さんの投稿を見かけた。
重いタンクを背負い、客席の階段を上り、時には膝をついて注文を聞く。
その姿をめぐって、コメント欄では「これは女性差別なのか」という議論が起きていた。
私はその議論を見ながら、少し立ち止まってしまった。
どこからが差別で、どこからが仕事なのだろう。
どこからが尊重で、どこからが消費なのだろう。
そして何より、ビールの売り子さんたちはどうすれば、もっと楽に働けるのだろう。
差別か仕事か?――その前に考えたいこと

該当の写真を持ってくることは出来ないので、AIで私が見た画像を再現してもらった。
少なくとも私は、この写真を見ただけでは、すぐに女性蔑視だとは感じなかった。
理由はいくつかある。
- 売り子さんは本人の意思で働いている。
- 給料も支払われている。
- 男性の売り子さんも存在する。
- 膝をつく行為も、接客上の配慮として見ることができる。
だから、日本の野球場で撮られた一枚の写真だけで、日本全体が女性差別的だと言われてしまうことには、どこか納得がいかなかった。
けれど、立ち止まって考えてみると、この写真の問題は「女性蔑視かどうか」だけではなさそうだった。
議論には、少なくともいくつかの視点がある。
①当事者の意思は? 一枚の写真だけでは判断できない
まず一つ目は、当事者本人の意思である。
本人は「ビールの売り子さん」という仕事をどう感じているのだろう。
誇りを持っているのか。
苦痛を感じているのか。
それとも、誇りも苦痛も両方あるのか。
それは写真からは判別できない。
私も飲食店で働いたことがあるが、体調がすぐれない時や気持ちが落ち着かない時でも、接客業では笑顔を求められる。
日本のサービス業は、接客の質が高いと言われることが多い。
けれど、その笑顔が本心からのものなのか、仕事として求められたものなのかは、外から見ただけでは分からない。
だからこそ、一枚の写真だけで「本人たちは望んでいる」とも、「搾取されている」とも、簡単には言えないのだと思う。
差別か、そうでないかと線を引く前に、人を見るべきなのだと気が付いた。
② 労働環境
次に気になったのは、身体的な負担だった。
ビールの売り子さんは、12〜18kgほどあるタンクを背負い、客席の階段を上り下りしながら、長時間歩き続ける。
これは、女性であっても男性であっても大変な重労働だと思う。
とくに屋外球場では、気温や天候の影響を直接受ける。
夏場の炎天下では、どれだけ本人が気をつけていても、熱中症のリスクは決して低くない。
春先や秋口、夜の試合では寒さもある。
重いタンクを背負いながら、階段を上り下りし、笑顔で接客を続ける。
その姿を見た時、私は「女性蔑視かどうか」よりも先に、まずこの働き方がどれほど身体に負担をかけるものなのかが気になった。
本人がその仕事に誇りを持っていたとしても、身体がつらくないとは限らない。
意欲的に働いていたとしても、精神的に苦しい瞬間がないとは言い切れない。
だからこそ、この仕事について考える時には、見た目の印象だけでなく、そこで働く人たちの身体と心の負担にも目を向ける必要があるのだと思う。
③写真の中にいない声
この写真に違和感を覚えた人たちは、売り子さん一人ひとりを責めたいわけではなかったのだと思う。
若い女性が、重いタンクを背負い、客席で膝をつき、笑顔でビールを注ぐ。
その光景そのものに、日本社会の中にある性別役割や接客文化の偏りを見たのかもしれない。
そう考えると、その批判にも理解できる部分はある。
一枚の写真は、時にその人個人の労働ではなく、社会の象徴として読まれることがある。
売り子さん本人が誇りを持って働いていたとしても、その姿が「若い女性に笑顔の接客を求める社会」と結びつけて見られることはある。
けれど、ここで私は少し立ち止まってしまった。
問題提起そのものは必要だと思う。
ただ、その議論の中で、実際に働いている売り子さんたちの声はどれほど聞かれているのだろう。
本人たちはその仕事をどう感じているのか。
何に誇りを持ち、何に苦しさを感じているのか。
どんな働き方なら続けやすいのか。
そうした声にたどり着く前に、周囲の人間だけで「差別か、差別ではないか」と線を引いてしまうことに、私は違和感を覚えた。
ビールの売り子さんが楽になる世界

私も以前、この仕事の身体的負担を軽くする方法として、ビールサーバーの重さを分散できるリュックのようなものを考えたことがある。
けれど、今になって思えば、それも当事者の声を聞いた上での案ではなかった。
実際に働いている人たちが、何に一番つらさを感じているのか。
重さなのか。階段なのか。暑さなのか。接客中に求められる笑顔なのか。
あるいは、それらが重なった時の疲労なのか。
それは、外から見ているだけでは分からない。
だから、私が考えたリュックの案も、あくまで外側から見た一つの想像に過ぎない。
もしかすると現場では、重さよりも補充の仕組みや休憩の取り方、販売ノルマ、客との距離感の方が問題になっているかもしれない。
それでも、考えること自体は無意味ではないと思う。
大切なのは、「これは差別だ」「差別ではない」と線を引いて終わらせることではなく、もしそこに苦しさがあるのなら、どこを変えれば少し楽になるのかを考えることではないだろうか。
重さを減らす。
休憩を取りやすくする。
販売方法を変える。
接客姿勢を見直す。
本人たちが声を上げやすい仕組みを作る。
そうした小さな改善案は、当事者の声を聞くことで初めて現実味を持つ。
だから私は、外から線を引くより先に、そこで働く人たちの声を聞きたいと思う。
そして、その声をもとに、少しでも苦しさを減らす方法を考えたい
線を引くことよりも、声を聞くこと。
怒りをぶつけることよりも、少し楽になる方法を考えること。
私は、そういう方向に進めたらいいと思う。


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